「今日の芸術」は50年代というから今から60年以上前に岡本太郎によって書かれた芸術論についての書籍である。筆者は5回くらい読んでいる愛読書である。岡本太郎という人は「芸術は爆発だ」という言葉であったり、大阪にある「太陽の塔」で有名な人であり、絵画、彫刻、等の有名な作品もあるが、筆者としてはこの文筆にこそ彼の才能が出ていると思う。
今日の芸術~時代を創造するものは誰か~ (光文社知恵の森文庫)
今でこそモダンアートの世界での多様な表現や、芸術論についても体系的に例えば、シュールレアリスムであったり、キュビスム、そういった考え方が一般化されるようになったが、中世からの長い歴史の中でいうと、技巧こそが芸術の原点だという考えがまだ色濃かったし、文化的な歴史が比較的長い日本においては、職人の技巧を重要視して、技巧にすぐれた作品を芸術的だという感覚が強かった時代だと思う。
そんな中、「芸術は上手くあってはいけない」「芸術は嫌ったらしいもの」そういう表現で芸術を解き、人間個々の精神から生み出される何とも表現しずらいものの発露として芸術があるべきで、それを見たときに観察者は心が震えて感動する、そういった論調であった。芸術表現というのは、表現者個人の内面や精神を形に変えて表現することであり、現代的な芸術論を既に60年以上前に、しかも周囲というか一般常識が到底追い付いていない中発表した勇気と信念は称賛されるべきであろう。
筆者は大学時代にピカソの芸術論という授業を受講して、その後ピカソ作品の虜になった。「アヴィニョンの娘たち」という世界観に到達したピカソの精神世界を想像するだけで心が震えるというか、感慨にふけってしまう。「ゲルニカ」に至っては第一次世界大戦に至ったドイツとスペインの戦いが目に浮かぶようであり、さらには絵を見ているだけで心が張り裂けそうになる。大家といわれる存在になったピカソが「ゲルニカ」を発表したときの、彼の精神の内面は想像を絶する状態で合ったろうことが推察される。
何がすごいかというと、天才的なデッサン能力を持つピカソがそこに安住してないことと、美しさを捨てたことであり、これが岡本太郎の世界観につながっていく。岡本太郎はそのピカソの世界観を文章に体現して、日本に紹介した、その功績が凄いのだと思う。もちろん、「太陽の塔」を初めて見たときに、確か路線バスの車内から見たのだが、その存在感、制作者の精神性がミシミシと伝わってきたのを覚えている。彼の作品は彼の作品で良さがある。ただ、岡本太郎には若干の計算が見えてしまうときがある。ピカソの作品ではそれを感じさせない。
アメリカで本物の「アヴィニョンの娘たち」を見た。写真で見た通りの構図、内容であった。そのキャンパスの前でピカソが何を思ってこの作品を描いていたのか、考えるだけで興奮するものがあった。そういった精神性を良く描いてくれたのが原田マハであり「暗幕のゲルニカ」はノンフィクションとフィクションの間を上手いこと描いてくれていたと思う。