2020年8月18日の日記より
成長戦略
新聞紙上、テレビ等の報道を見ていると、よく見る日本の成長戦略への提言がある。「米中の対立や、欧米の対立を中立な立場としてみる事が出来る日本こそが、国際的なルール作りを主導して、成長に繋げる。」、こういう抽象的な成長戦略を提言するのを聞いたことがあるのではないだろうか。また、「デジタルトランスフォーメーションを主導して、成長を加速させる」、「環太平洋地域への投資を増やして、枠内の主導権を握り、成長戦略に繋げる」、こういった言葉もよく聞く。
これらの主張に共通しているのは、「アメリカみたいになりたい」これに尽きる。こういう事を言う識者は、日本はダメで、アメリカはすごい、アメリカみたいな方法論しか成長は出来ず、アメリカを模倣しておけば、日本は成長するというもはや何十年前の発想なのか分からないが、戦後占領政策から続く可哀そうな思想の被害者にしか見えない。
たしかにアメリカの成長はGAFAが支えており、またアメリカは国力を利用して、国際的なルール作りを一方的に決めて自国有利にできるし、地域の主導権を握る事も比較的容易に行える。ただ、これらは世界No.1のGDPという国力を持つアメリカであるからこそできる事で、大前提を無視して、方法論だけ模倣しようなんてことは出来ず、上記のような政策提言を識者がいまだにしている様では、日本の国としての成長戦略が定まらず、実態が見えないものになってしまうのも仕方がないだろう。以前にも書いたかもしれないが、政治的な決定、戦略の策定、そういったものは勿論政治家が議論して予算配分を決めているのだが、国民的な議論が前提になるわけで、マスコミとかで発言する識者が与える影響は大きい。上記のような提言をする識者がいると言う事は、街頭インタビューをしても同じような回答をする国民が多くなるわけで、選挙で当選する政治家もそういう思想を持った人が増える。よって国策となるのだが、こういうアメリカを模倣しようという、消極的な案しか出てこず、いまだに占領政策の影響が色濃いのだな、と感じる結果になってしまう。
占領政策でアメリカによって行われたことは、評価の仕方は色々あるのだろうが、結局は日本人のプライドを削ぐ、という事だったのだと思う。アメリカ側から見た場合、第二次世界大戦に至った日本側の理由というのは、もちろん色んな理由が複雑に絡み合っており資源の確保とか戦略的な面も大きいが、一つ大きな病巣としては「過剰な誇り」が戦争に駆り立てたのではないかと、思っていると筆者は感じる。当時から日本の「サムライ」というのはアメリカから見たミステリアスな存在であり、色々な研究がなされていたと思うが、そこには祖国に対する誇り、天皇陛下に対する誇り、上司に対する忠誠、これらが過剰なまでに凝縮された社会である、という見方があったと思う。これらが、戦争を遂行させた一つの原動力という捉え方のもと、この点を徹底的に壊しにかかったのが戦後の米国の占領政策であり、結果として、日本の歴史や財産を誇る事を避けるような風潮が出来たのではないか。特に高齢の方でこういう傾向は顕著で、識者の中でも親世代の思想を忠実に受け継ぐような、受験エリートだったであろう識者にはこの傾向が受け継がれている。
ではどういう成長戦略が良いのか。これも議論は多々あるが、まず現代の世界の常識と比べてみた時に、日本の持っている良い面悪い面を考えてみたい。まず悪い面だが、「外交下手」「Innovativeではない」というのは良くあげられる面ではないだろうか。「外交下手」に関しては250年の鎖国の歴史、海洋国家であり陸地で他国と国境を接していない、ということがあるので「外交下手」と呼ばれるが、これと相まって言葉の問題もあり、これは現時点では認めざるを得ないだろう。まずは国民全体の意識として、英語の必要性を感じる事からが重要で、現在のように必要性を然程感じていない状態で「英語教育は必要」と叫んでも改善はしない。恐らく20,30年経って、日本国内で稼ぐことが今よりも難しくなるころに、こういった事は変わっていくのだろう。
「Innovativeではない」というのも相対的には事実であり、リスクを取らない国民性が理由だと思うが、これは災害大国であることが大きく影を落としていると筆者は考えている。全世界の25%の地震が日本列島で起こると言われているし、台風、洪水、こういう災害が相対的に他の国と比べて考えても、かなり多い国であろう。筆者はこれがムラ社会と呼ばれる文化を形成した一つの理由だと思っているが、そういう文化の中では、人と違った事を行う事は、例えば平穏な土地に生活する人に比べて、大きなリスクなのである。津波の被害は50-100年の単位で一度来るというケースがあるが、昔からの集落に例えば100人が住んでいたとする。一人の変わり者が、前回の津波から90年経過しても津波が無く、そうであれば景色の良いところで皆と離れてでも生活してInnovationを起こそう、と考えたとする。しかしながら歴史は繰り返すもので、大地震が来て、津波にさらわれる、こういったことが津波だけでなく、火山、洪水、災害のたびに繰り返されてきたのではないだろうか。財産を共同で守り、昔からの言い伝えを守り、ムラで仲間外れにされないように生きる、という行為が、災害大国の日本では生存のためのKeyだったのである。アメリカ西海岸というのは全くの逆の文化的な背景を持っている。西海岸が欧州からの移民たちによって開拓された時、開拓民としてやってきたものの多くは、一獲千金を目指す、変わり者の若者たちである。まず、英国からピルグリムとしてアメリカ東海岸にわたってきた移民たちが、理想の宗教社会を作る、という英国からのはみ出し者たちが多かったという歴史があり、その子孫の中で、さらに一獲千金を夢見て、故郷を捨てて、さらに当時だと命の危険もアリながら、西海岸に移住してゴールドラッシュを目指した人たちが西海岸の文化を作ったわけである。もちろん、Earon Muskは南アフリカ出身とか今Innovationを起こしていると言われる人たちの出身地は多様であり、直接的にゴールドラッシュの人たちの子孫ではないが、重要なのはそういうInnovationがシリコンバレーで起こっている事であり、そこにある文化的な背景が重要なので、これを例えば「日本のシリコンバレー」を作ろうと言っても、同じような場所には出来ないし、日本のInnovatorたちもシリコンバレーでの経験を持った人が多くなってしまうものだし、それを目指す人もどこに行くかといえば、シリコンバレーを目指すのである。
話がだいぶそれてしまったが、翻って日本の良さは何なのか。上記のような「外交下手」「Innovation下手」の裏返しなのかもしれないが、筆者は大企業の力とモノづくりの力なのだと思う。これを有効活用することが日本の成長戦略に繋がるし、これがハマったのが高度経済成長期だと思っている。それは60,70,80年代の戦略でもうカビが生えている政策です、という声が聞こえてきそうだが、日本が成長するための根本は、上記の文化的背景を考えてもこのポイントにある気がする。ただ、60,70,80年代のように他国の模倣に走った方が良いという意味ではなく、大企業の変革と、大企業の財産や資金力を生かした、Innovationを起こしていく事を目指すべきというである。まずは財産や資金力という面だが、日本の大企業にはここ40,50年でため込んだ財産がふんだんにあると思う。資金という面と、開発投資の経験、特許、という面である。特に特許について、国家的なOpen source化を行い、国内で競合するような会社との連携、共同研究を国家を上げて即していく、例えばEVなんかが良い例だが、トヨタ、日産、ホンダ、マツダ、、、と単体で研究投資をしないで、日本全体で取り組むスキームを国家が形成してあげる、そこまでやらないと、枠を破るような企業は出てこないと、筆者は思っている。洋上風力、水素燃料電池、AI、ロボティクス、大企業の力を結集させて、Innovationに繋げていく、こういった戦略が必要なのではないだろうか。 また、そういった横断的な研究を行うためには、ちょっと政策のスケール感が下がってしまうが、副業の積極的な導入、例えばトヨタの社員が、午後からホンダに勤務するとか、そういった柔軟性が求められていくだろう。例えば、企業年金の禁止、企業内での管理職の評価の透明化、この辺りを政策的に行えば、改善していくのではないか。特に、企業内での管理職の評価の透明化、というのはKeyになっていく。忠誠心、勤続年数、上司への気遣い、そういったもので評価されている人間が排除されていくだけで、企業の効率の改善につながるし、そういった社会では、転職や副業をしている人の評価を、転職や副業といった事実を持って低くすることが出来なくなる。特に管理職である非組合員の評価については、全社員に公表するような制度を国が主導して導入するのが良いのではないだろうか。これは企業ごとでやろうとしても、100%無理である。何故ならその制度の導入をする経営層の中にこういった制度が不利益になる人がいるからであり、国家主導で行うべきだ。そうやって人材の流動性、柔軟性をどんどん生み出していく、これこそが国家成長戦略のために行う事であり、DXとか、外交人材とか、日本のシリコンバレーとか、そういった無いものをどうにかしようとするのではなく、大企業の底力を活用するような政策が求められているのではないだろうか。