アンモニアや水素について

ESGだSDGsだと言われるようになって久しく、各国、各企業においては特に二酸化炭素排出量について対応を迫られるようになってきている。国境炭素税の議論も活発になってきており、近い将来に現実的になるかもしれない。ただ、この流れは「不都合な真実」が公開されたころにもあって、リーマンショックであやふやになった気がするが

いづれにせよ、グリーン水素、グリーンアンモニアを使って、発電しても二酸化炭素を排出しないエネルギー源を確立すべきだ、そんなトレンドができつつある。

もちろん水素やアンモニアは発電しても二酸化炭素を排出しないのは事実であり、水もしくは窒素酸化物がでてくるだけであり、温暖化という議論においてはこの部分は正しい。しかしながら、現在の技術では水素もアンモニアもそれ自体を大量生産しようとすると、コスト的な問題もあり、生産するときには二酸化炭素を排出しないとは言えず、グレー水素とかブルー水素と呼ばれる所以である。

そんな中グリーン水素、グリーンアンモニアと呼ばれる再生可能エネルギーで製造する水素やアンモニアを活用しようという取り組みがあり、これは素晴らしいものだと思うが、現時点ではコストがかかってしまう。

問題はコストなのである。技術によるブレークスルーも期待できるが、現状の問題はコストである。はっきり言えば、コストをかければ大方のことはできるわけで、コストを度外視するのであれば、核融合の発電を世界中に建設して、クリーンで環境負荷のない世界を作ることはできるかもしれない。問題はコストなわけで、特に新興国では石炭を使った火力発電はなくならないわけである。

コストを乗り越えるためには各国の誘導政策に頼るしかないのであるが、石炭、ガソリンエンジン、鉄鋼、これら業界は利権の塊であり、なかなか国の中で調整するのはかなわないというのが現実的であろう。以前から言ってるが、一番問題なのはガソリン供給している会社と、ガソリンエンジン車を作っている車メーカーだと思う。これらがコスト増につながる政策には猛烈に反対姿勢を示す。水素燃料電池車をオリンピックに提供したり、EVの開発を宣伝してグリーンな企業イメージを創出しているが、本質はガソリンエンジンへの規制を強力に反対しているわけである。

この事実はESGというものの危うさを大いに示している。要は印象操作でどうにでもなってしまう世界であるともいえるわけで、今第三者機関による認証をと言っているが、結局大企業にとって都合のいい形になっていき、実質的なSustainableな取り組みではなく、Sustainableっぽい会社がESG債とかで優位に立ってしまうという世界になるのであろう。結局は自分たちに有利にルールを作れる大企業の飯のタネになってしまう、というのが昨今言われているESG債とか、そういったものであり、発信力のない中小の会社はまた取り残されるのであろう。

ESGという聞き心地のいい言葉は、誰も否定ができない。だからこそたちが悪く、印象操作に使われがちである。何を言いたいかというとESG債、ESG投資というのは怪しい言葉であり、実効性を担保するためには、しっかりとした第三者機関の客観的な評価が必要ということである。

ESGに関して

木材を使ったビルに投資するとESG投資で、鋼材を使ったビルに投資するとそうではない。イメージ的にもそうであるし、実際本日の新聞にもそういう投資があると記載があった。もちろん、紙面には記載しきれない要件とかがあり、原材料だけの問題ではないのだろうが、イメージで語られることの危険というのはある。

これは地球温暖化の議論でもそうであるが、エコバッグを使うとプラスチックバッグを使わないのでESGだ。これは本当なのであろうか。疑ってみる必要は本当にないのだろうか。

木材と鋼材でいうと、森林伐採の影響というのは昨今言われなくなっている気がする。20世紀のころはアマゾンの森林が急速なペースで失われており、二酸化炭素の吸収量が減っている、そういった論調が目立っていた。毎年日本の国土に相当する分とかが焼失されていたような曖昧な記憶があるが、現在はどうなってしまったのであろうか。

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例えば、鉄鋼の鋼材については、鉄鉱石と石炭から作る鋼材が日本や中国では多いが、米国ではスクラップるから製造する鉄鋼の量の方が多いと言われている。その場合、どちらが環境にいいのだろうか。従来の論調であったら、木材を伐採することは二酸化炭素の排出ではなく、吸収量の低下を招くという議論があったように思うが、これはもう取るに足らない議論となってしまったのだろうか。

勿論、鋼材はスクラップを溶かすときに大量の電力を使うので、現在のEVの議論と同じで火力発電を使う限りにおいては、環境にやさしくはないのではあるが、木材と比べてどうなのか、これは議論が必要である。

ストローやプラスチックカップについては、海洋汚染が言われているので、材料としての環境負荷について議論はあまりされていないが、材料としての環境負荷だけで見た場合にどうなるのかは興味がある。ここでも問題は複雑に絡んでおり、カメの鼻にストローが刺さっている映像でイメージ戦略化されている可能性はある。ツバルの海面上昇が実は井戸水の堀りすぎによる地盤沈下だったのは有名な話であり、氷山が解け落ちる映像は多くは北極海に浮かんでいる氷山だったのも有名な話だ。

イメージ戦略がどうもついて回る節があるESG議論というのは、ESG問題自体は非常に重要な問題ではあるのだけど、一つ一つの話については疑ってみる必要がある。基本的には理研の対立のケースが多く、ESG、ESGとは言っても、何らかの商業的な利得と結びついているケースは少なくないと思う。

都市間移動とラストワンマイル

ESGやSDGs、環境を意識した企業活動が重要視されるようになってきて、特に脱炭素の潮流というのはもはや激流と言えるくらい、大きな注目を集めている。各国が2030年、2040年の二酸化炭素排出量の目標値を発表する中で、EVやFCVが注目を集めるようになっている。

これは既に15年位前から論点になっているが、その中でEVが最適だ、FCVのほうが良いのでは、いやハイブリッドに勝るものはない、いやいや意外とガソリンエンジンが残る、さまざまな主張がある。これはそれぞれ議論している人々の立ち位置で正解が変わることの典型例であろう。

例えば筆者が住んでいた米国における自動車の位置づけと、日本の自動車の位置づけは必ずしも同じではない。以前も書いたが、米国の方が生活の足という位置づけは強いのではないかと思う。ヘンリフォードが大量生産を始めた国だけあって、自動車と生活の一体感は日本に比べると強い。もちろん、NYやLAのダウンタウンに住んでいる層は日本でいうと東京や大阪の大都市と同じで、通勤に自動車を使わない人々も一定数はいるが、割合として車依存が強い。しかも日常の足としてである。ちょっと郊外に行くと一家に最低二台は車があり、子供が大きいと3台、4台となる。これらの人々にとって、ガソリンスタンドというのは日本でいうコンビニと一体であり、これはもはや生活に欠かせないインフラの一部になっている。

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米国では文字通りコンビニがガソリンと一体で経営されているケースが特に郊外では圧倒的に多く、ガソリンスタンドに立ち寄ってコンビニに行くか、コンビニに立ち寄ってガソリンスタンドに行くか、両方のケースがあるが、ここの結びつきが非常に強い。これが何を示しているかというと、エネルギー補充、このケースだとガソリンということになるが、これに対する利便性を究極的なまでに要求するのである。

ここに従来EVの普及が進まなかった理由があるように思う。グリッドの不安定さもあるし、何よりコンビニに行く頻度が少なくなるというか、EVにしたとしてもコンビニに行くわけで、コンビニで買い物している間の時間に給油していた時と比べて、EVの充電が非常に煩わしくなるのである。それくらい、米国人にとってガソリンスタンドは生活に欠かせないインフラなのである。

そう考えてみるとよっぽどインフラ整備が進まないとアメリカ人のマインドはEVやFCVに向かいそうもない。よっぽどの補助金なので実質負担が少なくならないと、購入に向かうインセンティブにはならないだろう。

そうなってくると、家庭への普及ではなく、商用利用が重要になってくる。ここでようやくラストワンマイルになるのであるが、これは小回りが利くEVの出番になるし、例えば貨物の配送であれば、配送とともに、貨物の積み込みの時間と集荷ステーションという地理的な制約があり、これがEVの充電に有利となる。ガソリンスタンドとコンビニの関係と一緒であり、余っている時間を特定の場所で過ごす場合、そこで充電することができれば、便利と判断できるのである。

一方、FCVの場合、水素ステーションが必要になる。これのインフラ整備はもう少しお金がかかる。ラストワンマイル拠点に細かく整備するにはかなりの時間がかかってしまう。こちらはどちらかというと都市間移動や、長距離移動が中心となるだろう。例えば港に水素ステーションを作ったりして、そこからの物流で500KM離れた場所に貨物を運ぶ際、そういったところでFCVは活躍しやすい。EVは航続距離の問題があり、FCVが港で水素充填ができれば有利になるだろう。しかしながら、電気料金は再生可能エネルギーを使う前から競争が繰り広げられて比較的安い価格になっているが、水素はこれから価格が下がるものであり、現時点では非常に高い。太陽光発電や、風力発電、またLIBにしてもそうであったが、徐々に需要が拡大していき、徐々に価格が下がるというプロセスが必要になる。水素を含むそれらの価格は、流通量との逆相関になるからである。いきなり劇的に価格が下がることは考えづらく、例えばLIBの原単位当たりの価格が徐々に下がっていったように、これから10年とかをかけてようやく実用ができるレベルに落ち着いていくのだろうと思う。

LIBのケースで言っても、例えば10年前は価格が一定程度下がらないとEVの普及に繋がらないという論調が多くあった。これはかなり正確な予想であったのだが、今LIBが下がった世の中で暮らしている人々は、今のLIBの価格が常識的な価格と思っており、現在のEVブームはLIBの価格の低減で達成されている面が多分にあるのだが、その点はあまり強調されない。ボトルネックの要素技術というのは、乗り越えてしまうと、忘れられがちなのかもしれない。これはなかなか面白い視点なのではないかと思う。