不安をあおる構造

お金を稼ぐには不安をあおるのが鉄則である。古くからある典型的な手法は保険であり、「こんなことがあったら困りますよね?」という手法で保険会社はお金を稼ぐ。もちろん、例えば船旅で事故に遭った時に保険があると保証されるのでお金の出し手にとっても悪い話ではないのであるが、膨大な統計によって保険会社が損をしないように設計されており、既に互助会社という存在ではなく、不安を煽ってお金を稼ぐ会社になっているのが、保険会社であろう。

不動産投資、昨今の投資信託と株ブーム、これらも不安を煽って、市場を膨らませている構図に見える。不動産でいうと、低金利、税制優遇があるうちに購入しないと損をしますよ、将来インフレが起きたら損をしますよ、こういう不安を煽るうたい文句で売り込みを図る。そこには論理性や、統計に基づいた実証性がない、空虚な言葉遊びで不安を煽る構造が透けて見えている。

低金利なのはインフレーションをしていないからであり、不動産価格が将来にわたって上昇しないことを予見して金利が上がらないのである。これは見えざる手ではないが、水が高いところから低いところに流れるような自然の摂理であり、世の中これだけ投資手法や資産運用方法が多様化している中で、今だけ、ここだけ、そういった旨い話はないわけであり、自分に必要だったら買えばいいし、必要でなければ焦る必要はない。非常に単純な話である。

麻生財務大臣というか財務省が発表したレポートで老後は2000万円が必要だ、というのがあった。これに2000万円を持たない老後になりかけ世代は、感情的になって批判を始めて、「いきなり2000万円と言われても」と怒り出した。マスコミの中心になっているのはその世代なので、マスコミでも批判の嵐であったが、目安として財務省は言っただけであり、ダメならダメでそれは個々人の家庭の問題であり、財務省に怒っても何の意味もない。この時のマスコミによるダメ出しは目に余るものがあったが、マスコミが醜態をさらしたというべきか。

いづれにせよ、この財務省レポートはその後時間が経って、現在の株式市場に好影響を与えていると思う。なんにせよ投資信託、株式投資を行う人が増えた。特に若い世代で顕著であり、株式投資ブームと言えるような状況が到来した。これは財務省の思惑通りであろう。蚊帳の外にはじき出された50-70歳くらいの世代は、今何を思うのであろうか。

勿論、こうやって不安に煽られて作られたブームというのはバブル的な要素をはらんでおり、短期的には失敗する人も多く出てくるのだろう。しかしながら、不安を煽ったことで若い世代が投資に向かうことには財務省は一役買っていることになる。

株式市場というのはピンからキリまで市場参加者がいる。その中で、プロと呼べる人がいて、そうでない人がいる。これはパチプロとかプロ雀士にも言えることだが、プロの知識、プロの技術というのは、素人と比べて恐るべき違いがある。このことが悲劇を呼び起こすのであるが、まずは素人からお金を呼び込むことができたので、株式市場的には財務省の不安煽り作戦は成功であろう。

アメリカンアイドル

先日、マイケルコリンズ元宇宙飛行士が亡くなったニュースがあったが、アメリカ人にとって、アームストロング船長、バズアルドリン、マイケルコリンズの月面着陸を達成した人間への敬意は、我々日本人が感じるそれよりもかなり大きい。筆者の娘が通っていた学校の名前はバズアルドリン小学校であったし、実際在学中にバズアルドリンがやってきて、アイドルのようなもてなしをされていた。

日本でももちろん月面着陸は大きなニュースであるが、自力で成し遂げたアメリカ人にとってのそのニュースとはとらえ方が全然違う。冷戦時代にソ連に後れを取っていた宇宙開発の起死回生だったわけであり、重みが違うのである。

考えてみると50年以上前の1969年に月面着陸を成功させたのは奇跡といっても過言ではないだろう。現在の技術ですら定期的に行けているわけではなく、ISSに行くのがやっとな状況なのに、計算機の能力も格段に劣っていた50年前に達成しているわけである。小学校の時に倣ったが月までの距離は確か38万キロほど。飛行機はせいぜい10キロ程度の高度で、ISSですら月までの距離の1000分の一ということなので、途方もない距離である。

世界を変えた14の密約

また、重力という要素で考えると月からの重力と地球からの重力ということで、これは本当に軌道計算は大変であったろうと想像できる。一つの重力を考えるのと、二つの重力を考えるのでは計算内容、計算の煩雑さは想像を絶するほど違ってくる。そんな中、行って、帰ってくる、これは本当に偉業だと思う。しかも1969年である。

大西洋を横断したコロンブスとかそのレベルではないと思う。月に行ったというレベルは異次元の偉業であることを我々はもう少し実感すべきであろう。だからこそ、月面着陸は本当は無かったというような陰謀論すら出るわけであり、普通に考えると理解しづらいくらいの偉業ではある。

現在人類は火星に挑んでいるが、これもかなりのチャレンジではある。火星との距離は最接近時で7500万キロメートルらしい。月のざっと200倍ほど。しかも公転軌道を考えると、火星と地球の距離は最接近時は7500万キロメートルであるが、太陽の反対側に行くときはかなりの距離になり、公転軌道の計算も必要になってくる。常にある程度の距離にいる月とは違うのである。

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ただ、計算という意味では計算機のレベルは想像を絶するほどに進化しているので、それほど問題ないであろう。軌道計算については計算機が月面着陸時代よりも正確にできると思う。もっと問題は、物理的なロケットの方で、材料、設計、これらをくみ上げていかなければならず、さらにテストによってイレギュラーを体験して安全装置を練り上げていかなければならない。そのイレギュラーの数がISSに行くことや、月面着陸と比べると恐らく天文学的に多くのことを考えなければならず、機体自体について設計が一番のハードルであろう。これは帰還時の機体についても考えなければならず、理論上の計算だけで実行するわけにはいかない面もあるので、ある程度の時間と金が必要になるのであろう。

保護主義の是非

昨日米国のバイデン大統領の施政方針演説が行われた。その中で気になったのは、保護主義の継続というか、アメリカ国民の税金をアメリカ製品の購買に使うようにするという発言である。これをもって、トランプ大統領時代からの米国の保護主義路線が継続されるという判断で報道がなされている。

ここでいう保護主義というのは何であろうか。自国産業を保護するという意味の保護であり、関税障壁を設けて、自国産業が他国からの輸入品に比べて有利になるように誘導することである。そう考えるとこの政策をとっていない国などあるのだろうか、そういう疑問が出てくる。もちろん、EUやTTP、ASEAN、旧NAFTAというブロック経済圏において関税を下げて自由な貿易を推進しようという取り組みはあるが、それぞれ合意に至るまで相当の議論を重ねて、100%関税がない状態と言えるのはEUくらいではないだろうか。

各国経済規模、所得水準、伝統的な産業構造、これらが全く違うわけで、完全な平等主義に基づくと、いろいろなひずみが出てしまう。日本も過去にはGATTの交渉で牛肉とオレンジについて、輸入障壁を設けたいという意向を示していたし、今でもコメの輸入には関税が付きまとう。これは不誠実な政策なのだろうか。

勿論、大きな時代の流れとしてある意味では自由貿易というのが全世界の人々を豊かにしてきた、生産性の向上によってもたらされた多くの商品は、自由貿易があるからこそ販売することができ、生産者の利益になってきたという側面はあるが、これは本当に全世界の人間に寄与しているのだろうか。大企業の販売増加や成長には間違いなく寄与している。そういう観点でいうと自由貿易は正しい道のように見え、特に大企業の従業員には恩恵があり、そこからトリクルダウン的な発想がベースとなり、全国民を豊かにしたという理屈なのだろう。

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しかしながらここにきて問題は、トリクルダウンというのは正しい理屈なのかということだ。これは富裕層と呼ばれる人間が自分の正当性を担保するために、用いている無理矢理な理論ではないか、昨今では思うわけである。コロナ禍という状況になり貧富の格差は広がっている。富める者はさらに富、貧しいものはそのままだ。ここの根本理論が崩れつつある。

そうなると自由貿易も誰のための自由貿易であったのか、という疑問に行き着く。これは先進諸国の大企業のためであったという可能性がある。中小零細企業の中には自由貿易の進展によって苦境を余儀なくされている人たちも多い。これは現在のバイデン政権の政策を見れば明らかであり、それを支持する層がかなりの数いるわけである。

保護主義と自由貿易、これは対立する概念である。しかしながら、国家主導で金融政策、経済政策を行うという色が強くなっている21世紀において(これはリベラル化が進んだ現代において逆説的に聞こえるが、事実この面は強くなっていると思う)、保護主義というのは当然と言えば当然な政策に見えてくる。国家というものが強く関与して、経済成長を競う、これが常態化しつつある。20世紀のように勝者と敗者を分ける壁が強固ではなくなってきたので、先進諸国と呼ばれるところがなりふり構わずという姿勢になってきたのかもしれない。

これはひとえに中国の台頭の影響ではあると思うが、国家の関与を強めていくと、歯止めがききづらくなる。国民は税金を使ってやれることは何でもやって欲しいと欲望はエスカレートしていく。行き着く先は武力行使もあり得るということで、これが19世紀末からの全体主義を招いたともいえるわけであり、ここにも民主主義の悪い面が垣間見えるわけである。