インドネシアに5年ほど住んでいたが、インドネシアに住んでいると日に5回、コーランの歌声が聞こえてくる。朝は6時から、夜の6時が最後のもので、そのたびにイスラム教徒の人々は手足、顔を水で洗い、どこにいてもメッカの方角を向いてお祈りをする。例えば、運転手なんかは運転中だったらしないが、目的地に到着後自分のカーペットを引いてお祈りをする。
我々日本人からすると独特な風習であるが、信心深さには感銘を受ける。イスラム教の大きな行事に断食を行う期間があり、インドネシアではラマダンという。朝から何も食べず、夕方の最後の礼拝の後にまず簡単なものを食べて、水を飲む。だいたい24時間弱の断食を行う、というのを1か月間行う。断食期間が終わると、断食明け大祭ということで、皆で祝い、故郷に帰る、こういった習慣になっている。
イスラム教だけではなく、ユダヤ教にも断食の習慣はある。仏教においても修行に断食を織り交ぜる修行もあったり、広く行われている習慣ではある。我々日本人のようなほとんど断食を経験した人間がいない感覚から言うと、ただ苦行であり、苦しむことで悟りに近づくとか、そういった目的で行われているのだろうという印象を持つ人が多数であろう。
しかしながら、この年に一定の期間の断食を行うという行為は、むしろ健康にいいであろうことが言われている。日本でも最近はデトックス合宿や、断食合宿が行われるようになってきているが、断食を行うことで不要な老廃物を排出する機能が強まるということは言われている。また、16時間以上断食を行うと体内のマイクロファージという機能が活性化して、腸の活動が活発になったり、免疫系が活性化されるという話も聞くようになった。
宗教行為というのは今よりも歴史時代において、生活習慣に密接な存在であり、より実益的な行為が習慣として残っている面があるのだと思う。その中で、宗教が立ち上がった当時の人たちにとって、断食が健康を呼び込むというのは恐らく常識的なことだったのだと思う。
今のような飽食の時代でもなく、やむなく断食をするケースもあっただろうが、それによって体調がよくなるケースや、精神的に安定が得られたりそういうケースもあったのだろう。筆者も朝食抜き生活を始めて一年になる。夕飯を19時までに食べて、翌日の午前11時までは何も食べないようにしている。これで16時間だ。一年の変化としては体重が徐々に減って、6㎏程度減少した。また、午前中の仕事の集中力というか、効率は高まっていると感じる。
人間はどういう状態で能力を発揮しようとするのかと考えると、空腹状態なのではないか、というのが当方の仮説である。これは狩猟時代を想像するとそうなのであるが、例えば、獲物が十分に得られている状態と、得られていない状態があるとする。その場合、どちらが切実に獲物をとる必要があるかというと、得られていない状態の方であり、この場合、獲物が得られないと死んでしまう。空腹は生命の危機に対する危険信号の発露であり、お腹が鳴ったりするのは警告である。その時にこそ人間はいつも以上の能力を発揮して、獲物を得て、生き続けようとする。反対にお腹がいっぱいの時は眠くなる。これは能力を発揮する必要のない時間だと体が判断するからである。
今は狩猟時代ではないが、この本能的な部分というのは大いに残っていると思う。農耕が始まったのが一万年前前後であるが、たかが一万年である。人間だけでなく動物全般に言えることだと思うが、空腹の方がその能力を発揮できる環境になるのだと思う。昼休みに昼食を食べすぎて、午後に眠くなるのもそういった事であり、この面からもビジネスパーソンにはせめて朝食を抜いて、16時間断食を実践することをお勧めする次第である。