不安を煽る構造

2020年8月26日の日記より

不安を煽る構造

ざっと思いつくだけでも、将来に対する地球規模での危機というのは、地球温暖化危機、水資源不足危機、食糧危機、砂漠化の危機、オゾン層破壊の危機、と色々なものがうたわれており、「2050年には、こんなにひどい事に!」みたいな報道やテレビ番組を見たりする。そういった危機を分析している人たちは、温暖化のケースでもそうだが二つに分かれる。一つは本当に危機を純粋に信じている人たちで、どちらかというと現状が変わってしまう事に恐怖を覚える人たちである。温暖化の問題にしても、地球全体が温まる事については、デメリットだけではなく、例えば現在の寒冷地での食糧生産が増える事であったり、森林の二酸化炭素吸収量が増えたり、良いメリットも多くある。もともと人間は暑くて死ぬ人よりも寒くて死ぬケースが多いだろうし、人類の文明史を見ても、ルネサンス以降のような比較的暖かい時期というのは、文化的にも、実際的にも豊かになるモノだと思う。

危機を煽る映像として有名なのは、海面上昇で太平洋の島国が沈んでしまうというものがあり、もちろんそこに住んでいる人にとっては一大事ではあるが、地球規模の問題なのだろうか。北極の氷が解ける事も地球規模の問題なのだろうか。生態系も変わるかもしれないが、そんなことは今までの地球の歴史で枚挙に暇がないほど起きている。隕石の衝突で恐竜が滅びた事はほぼ間違いないと言われているし、生態系の変化を地球は何度も経験しているのである。地球規模の年齢である45億年で見た場合、こんな生態系の変化、太平洋の島国が沈んでしまうと言う事は些細な事でしかない。海面の上昇、後退、なんていうのは、日本列島が大陸とつながってた歴史から考えても、45億年の歴史で見た場合には頻繁に起こっている事実である。危機を煽る側の人間は近視眼的になっており、今ここ50年とか100年で築き上げた何かが崩壊してしまう、そういった非常に短期的な事に対する不安の発露なのである。筆者としては、例えば50年後の世界が、今より寒い世界か、温かい世界か、どちらが良いかと言われれば、温かいほうが良い。太平洋の諸島部の人々にはどこかに移住してもらわないといけないが、シベリアやカナダで居住可能地域は飛躍的に増えるはずであり、食糧生産も増大するだろう。これらの事が上述したような食糧危機の解決の一助になるかもしれない。

「いやいや異常気象の頻発が発生するだろう」と言われるかもしれないが、これが本当に温暖化が原因なのか、誰か証明できているのだろうか。確かに昨今、洪水被害のニュースや、干ばつ、異常な高温による被害のニュースは多いようには感じる。ただ、これを無理やり温暖化と結びつけている感覚もある。例えば台風の発生に寄与する熱帯域の気温と、二酸化炭素排出量の関係性は相関があるのだろうか。そういったことの証明が飛ばされて、一説によると、くらいの感じの温暖化=異常気象の頻発、みたいな非科学的な論調が気持ち悪くすら感じる。こういった異常気象の頻発と言われるものは、筆者は豊かさの裏返しではないかと思っている。インフラの整備が世界的に進んで舗装率が上がった事、開発が進んで森林や草原が減った事、これらが洪水には大きく影響しているだろう。また、異常な高温についてもエアコンや工場の増加、そういった要因も影響している。台風の被害についても洪水と似たようなものであり、便利になって、それに慣れてしまっているからこそ、便利な生活が失われた時のショックが大きく、気象条件による被害が昔に比べて相対的に大きく感じるようになってしまっている可能性が高いのではないか、そういう感覚的なところに付け込んで、危機を煽っているのではないか、というのが筆者の考えである。

長くなってしまったが、危機を煽る人たちのもう一つのタイプは、完全なる商業利用である。EVを売るためのイメージ戦略にもなるし、食糧増産のための法整備を則したい大手食糧企業の利益にもつながる。少々昔の話になるがオゾン層の話も、フロンガスの製造業者は打撃を受けたが、代替フロンの製造業者は大儲けをしたはずである。今は地球温暖化対策につながる企業は大きな利益を上げている。EVのテスラであったり、太陽光発電関連の業者であったり、そういった企業の利益につながっている。企業は環境投資をしていればIRに使えて株価が上がり、企業価値を上げる方法論としての単純化がますます進んでいる。この単純化の利益を得るのは、資本主義の大原則である金持ちであり、大企業が一番恩恵を得る事になる。資本が大きい人間が、安定期であれ、混とん期であれ利益を最大化できるのである。そういった意味で、温暖化を煽る事は大企業の利益にもつながり、金持ちが金持ちを生み出す社会を助長すると言えなくもない。庶民がレジ袋の有料化で苦労する代わりに得られるものは、大企業の利益水準の向上になっていく、という何とも皮肉な結果を生み出しているのが地球温暖化問題の本質ではないか、と思う次第である。

日本文化と天災

2020年8月26日の日記より

日本文化と天災

以前にも少し書いたが、日本は天災王国であることは間違いない。世界で起こる地震の25%は日本で起こるとも言われているし、それの影響もあり火山性の山地が多く、全体的に急峻な国土を持っており、山地でふった雨が低地に急速に流れ込むという洪水を生み出しやすい地形も持っている。干ばつや低温、高温というものによる被害も歴史的にはあったが、これは日本特有の物とは言えない面もあり、やはり一番大きいのは四つのプレートがせめぎあう上に成り立っている地理的な影響による地震とそれによる国土の形状の問題が大きいのだろう。列島各地に火山が見られ、歴史的にも大きな影響を与えていると言える。江戸時代の富士山の噴火は凶作に繋がっただろうし、それに伴って政治の不安定さを引き起こしたと思われる。

また、治水は日本では特に古代から重要な政治分野であった。戦国武将でも、武田信玄や徳川家のように治水を上手くできる政治家が、国力を増やすことに繋げられた歴史がある。火山の噴火、地震の発生というのは今のところコントロールできていないのだが、治水というのは政治能力を左右する大きな要素だったのである。

ただ、一方で治水の効果というのは、今日工事を行ったからといって来月に効果が出るものではなく、ある一定年数、例えば30年とかそういったスパンでの評価が必要となる。特に現代におけるダム建設などは複数年、下手したら10年単位での工事となるわけで、予算編成から効果が発現されるまでの期間は長期となっていくものである。

こういった政治の根幹をなすような政策決定が、今の民主主義ではないがしろにされてしまう。それは人気投票化してしまい、短期的、目先の利益、こればかりがクローズアップされるからである。世界が民主化しているというのは、アラブの春運動以来言われている事ではあるが、民主化の危険な部分にも思いをはせる必要がある。ノスタルジックな事を言うわけではないが、ある意味では田中角栄氏が目指していた国土強靭化、という路線は戦後の強力な自由民主党という、現代の感覚で言うとおよそ民主的とは言えない権力集団があったからこそ進める事が出来た政策ではないかと思うが、これも長期的視野に立った国家運営という意味では必要なものだったことは明らかであろう。新幹線、高速道路の整備、ダム、堤防の整備、恐らくはその頃に急速に進展したわけで、その後の経済成長を文字通り足元から支える事が出来た。また、成長過程においてはインフレ効果を存分に享受でき、今の1億円の借金が10年後の1千万円(今の価値換算。実際には1億円のまま)の価値になると言う事で、国としても家計にとっても借金をする事が正義だったのである。日本の国家は文字通り強靭化した。

ただあまりにも成長のペースが速かったこと、また円高、製造コストの増大、それらの要因が重なり90年代に入りバブルが崩壊した。借金が正義の世界が終わったのである。90年代後半からは失われた10年とも20年とも言われるが、借金をすると損をするデフレの世の中になったのである。今の借金が10年後に雪だるま式に膨れ上がり、借金の価値が上がってしまうという世の中で、国はどうやって予算編成を行えば良いのか、家計はどうやって不動産などの大きな資産に投資すれば良いのか、見失ってしまったのである。だからこそ現在、日銀はインフレターゲットを設けて、2%のインフレ率が必要だとの前提条件のもとに政策決定を行っているのだが、インフレを起こす要素は結局物の需給バランスだと思うので、うまくいっていない。なぜかというと、供給を絞る事が出来ないからである。自由貿易が行われる前のいまよりも閉鎖的な市場においては、需給バランスは金融の緩和や引き締めで調整しやすい。国内の需給というのは金融政策に影響を受けるからである。しかしながら、金融政策の影響を受けない供給先、要は輸入品と言う事になるが、これがあまりにも増え過ぎた結果、金利をいくら下げてインフレを則そうとしても、海外からどんどん安い製品が入ってくることを誘発するだけで、物の値段が上がらない。現在の状況は顕著だが、輸入が出来ないもの、比較的しづらいものの代表は、不動産と、葉物野菜だと思う。不動産は分かりやすいが、葉物野菜も傷みやすいし冷凍しづらい、ということもあり、国内産が多い市場かと思う。日銀が金利を下げてモノの値段を上げようとすればするほど、他の物の値段は上がらないのだが、不動産と葉物野菜の値段だけが上がっている印象だ。葉物野菜は、雨の影響とか冷夏の影響とかいろいろ言われるが、毎年高値のニュースが出ている印象がある。これはインフレ誘導金融政策の影響なのではないかと思っている。しかしながら、いくらインフレに誘導しようとしても、自動車や機械、畜産物、水産物、衣料品、資源、こういったものは輸入品も多く、世界市場における価格というのがあり、それの動きに左右されている面が強い。だから日銀の金融政策では通用しないのである。

これが世界の先進国の日常となりつつあり、インフレが見込めなくなっているが、トランプ大統領の政策はこの先を見据えていたと言ってもいいだろう。自国の市場を積極的に閉鎖の方向に走ったのである。拡大通商法232条や、NAFTAの見直しが最たる例だろう。自国経済をインフレ路線に戻すためには、こういった鎖国政策が必要になってくるのである。恐らく、日本や欧州も今後は自国の財政健全化を目指さざるえを得なくなってきており、そうなるとインフレに頼る状況になり、おのずとトランプ大統領的な政策をとらざるを得なくなってくるだろう。完全に閉鎖する事は無いが、鎖国的政策の復活である。関税障壁を沢山持ち、自国内での経済循環を復活させて、インフレを目指していく。こういう政策を行わないと、財政が立ち行かなくなるのである。積極的に鎖国をしたいわけではなく、全世界の経済発展のためには自由貿易が必要なのは間違いないが、インフレがない世の中では国家運営が成り立たないので、それを避けるための消極的な鎖国的政策、こちらの方にOECDの先進国なんかは政策が傾いていかざるを得ないのではないか、と思っている。

科学の進歩と地球温暖化理論

科学の進歩と地球温暖化理論

あまりに地球温暖化議論に対して懐疑的な見方をするだけではいけないとは思っているが、正直、議論するには歴史が浅く、材料が少なく、体系的な理論の形成にまで至っていないのではないか、というのが印象だ。

古くはガリレオの地動説、ダーウィンの進化論、ハッブルの宇宙膨張説(ハッブルはエビデンスを見つけただけだが)、のように以前までの常識とは違う説というのは正確な観察の上に成り立っている。ガリレオは天体の観察によって地動説でしか説明がつかない現象を発見して、ダーウィンも世界中を旅して動物の観察を行った事で進化論に至っている。ハッブルも非常に貴重な日食の機会を活かして最新鋭の機材によって天体の重力によって光が屈折する事を証明した。翻って見て地球温暖化説にはそこまでの観察による証拠は上げられているのだろうか。

よく言われる話であるが、地球温暖化説はいまのところ科学と呼べるような状況になっているとは思えない。産業革命以降の温度の上昇がそれまでの上昇速度と違うという事だが、ただ傾きを取った直線を入れただけであり、1900年ごろの気温低下と、もっと大きいのは先進国で大いに工業化が進展した1940年から1980年頃までの気温上昇の落ち着きである。二酸化炭素排出量との関連で言うなら、この時期をどう説明するのか。その影響が今出ているというなら、産業革命以降で気温の議論をしているのは何なのか。遅れてくる影響は現在だけでなく、産業革命開始した頃にも適応されるのではないか。もっと言えば、産業革命開始頃の温度上昇は、産業革命以前の影響が出てきてしまっているのではないか。

グラフを読み取るときに重要なのは、傾向と特異点である。傾向を見るときは時間軸が重要なファクターであり、何故その時間軸を取って傾向を議論する必要があるのか、その妥当性が重要である。その観点から言うと、これは地球の歴史を見れば明らかだが気温の上下の傾向を見るのに100年やそこらというのは、年間平均降水量が2000-3000㎜の太平洋岸に2日間の合計で1500㎜の雨が降り、その二日だけを捉えて、近年は降雨量が大幅に増加したと言っているようなものである。それは事実なのかもしれないが、特定の二日だけを見ても分かるわけがなく、大方の人間は、それではここ10年の年間降水量の推移を教えて下さい、となるだろう。10年と取るかは人それぞれかもしれないが。繰り返しになるが温暖化が嘘だとか、温暖化がしていないと言いたいわけではなく、科学的な議論がなされていないことに恐怖を感じているのである。まさにこれは政治的な、経済的な議論から発していることの証明であり、米国のゴア元副大統領は完全に政治的なパフォーマンスとして利用した。彼のプレゼンテーションが政治的であり、科学的ではなかったのだが、ここから議論の多くはスタートしてしまっている。

勿論、ここ数年、数十年のスパンで気温は上昇しているのは間違いない。ただ、これは二酸化炭素の排出量が原因であると、その合理的な説明は誰かがしてくれたのだろうか。科学的に地球気温に影響を与える要因は色々あると言われるが、一番大きな影響を与えるのは太陽だろう。水星、金星が暑く、木星、土星が寒いのは太陽光が注ぐ量が大きく違うからである。もちろん惑星の大気組成も大きな気温の違いを生み出す。大気の95%が二酸化炭素で、気圧も異常に高い金星は気温も数百度の世界と言われている。このことから二酸化炭素が温室効果を持つ事は間違いないのだが、科学と政治の違いは、その程度を数値化するのが科学であり、ゼロかイチ、もしくはYesかNoで単純化してしまうのが政治である。地球の気温は上がっているにたいしてはYes、二酸化炭素排出量は増えているに対してもYes、二酸化炭素による温室効果についてもYes、と言う事が言えるのだが、この事実だけで三段論法的に、産業革命以降の二酸化炭素排出量の増加で地球は温暖化している、こんな科学者は終わっていると言いたい次第だ。

太陽の影響の話に戻るが、太陽自体の活動の強弱もあり、黒点の数が太陽周期を示しているというが、これもガリレオが多くの観察を行った。また、太陽風の影響もあるし、太陽と地球の距離の変動というのも影響する。また、地球の地軸の変動もあるし、地球自体の活動の強弱、例えば火山活動などにも影響されている、というような変動要因もある。これらが複雑に絡み合っての地球の気候への影響というのが出てくるわけであり、これを体系的に理論として導くのは非常に難しい世界となるだろう。

ではどうすれば良いのか、という事だが、筆者が思っている事は、気候変動を人為的に解決しようとか、解決できるという幻想は捨てたほうが良いという事である。地球のメカニズムというのは45億年間培われたものの上に立っており、20万年の歴史のホモサピエンスが人為的に何かできる範囲というのはごくごく限られている。科学の進歩、技術の進歩により、温暖化を止められる、というような幻想が恐らくは新たな悲劇を生むのではないだろうか。これは空想に近くなってしまうが、人類を滅ぼすのは人類だろうとはよく言われる話でシンギュラリティの時代を迎えるとAIが人類を滅ぼし始める、とかいうSFの話もあるが、自分たちのコントロールできる以上の物事をコントロールしようとすると、どこかに弊害、歪が発生する。温暖化を止めようとすると、寒冷化が始まるだろう。これはよくあるSF映画とかでも見られるシナリオであるし、人間世界でもできないことを無理してやると歪が生まれる。温暖化しているのであれば、温暖化した地球と共生する、寒冷化したら寒冷化した地球と共生する、そうやって人類は生き延びてきたわけで、環境適応能力を高めるためには、環境適応能力を磨いていくしかないのである。1000,10000年、100000年と人類の繁栄を望むのであれば、地球環境は我々のベースであり乗り越えるものではなく、共生すべきものであり、こんな雄大なものをコントロールしているとか、この地球環境が変わったのは人類のせいだとか、そういうおごりを捨てて、地球に住まわせてもらっている、共生が必要なんだ、そういう心持ちが必要なのではないだろうか。