アメリカンアイドル

先日、マイケルコリンズ元宇宙飛行士が亡くなったニュースがあったが、アメリカ人にとって、アームストロング船長、バズアルドリン、マイケルコリンズの月面着陸を達成した人間への敬意は、我々日本人が感じるそれよりもかなり大きい。筆者の娘が通っていた学校の名前はバズアルドリン小学校であったし、実際在学中にバズアルドリンがやってきて、アイドルのようなもてなしをされていた。

日本でももちろん月面着陸は大きなニュースであるが、自力で成し遂げたアメリカ人にとってのそのニュースとはとらえ方が全然違う。冷戦時代にソ連に後れを取っていた宇宙開発の起死回生だったわけであり、重みが違うのである。

考えてみると50年以上前の1969年に月面着陸を成功させたのは奇跡といっても過言ではないだろう。現在の技術ですら定期的に行けているわけではなく、ISSに行くのがやっとな状況なのに、計算機の能力も格段に劣っていた50年前に達成しているわけである。小学校の時に倣ったが月までの距離は確か38万キロほど。飛行機はせいぜい10キロ程度の高度で、ISSですら月までの距離の1000分の一ということなので、途方もない距離である。

世界を変えた14の密約

また、重力という要素で考えると月からの重力と地球からの重力ということで、これは本当に軌道計算は大変であったろうと想像できる。一つの重力を考えるのと、二つの重力を考えるのでは計算内容、計算の煩雑さは想像を絶するほど違ってくる。そんな中、行って、帰ってくる、これは本当に偉業だと思う。しかも1969年である。

大西洋を横断したコロンブスとかそのレベルではないと思う。月に行ったというレベルは異次元の偉業であることを我々はもう少し実感すべきであろう。だからこそ、月面着陸は本当は無かったというような陰謀論すら出るわけであり、普通に考えると理解しづらいくらいの偉業ではある。

現在人類は火星に挑んでいるが、これもかなりのチャレンジではある。火星との距離は最接近時で7500万キロメートルらしい。月のざっと200倍ほど。しかも公転軌道を考えると、火星と地球の距離は最接近時は7500万キロメートルであるが、太陽の反対側に行くときはかなりの距離になり、公転軌道の計算も必要になってくる。常にある程度の距離にいる月とは違うのである。

宇宙はどうして始まったのか (光文社新書)

ただ、計算という意味では計算機のレベルは想像を絶するほどに進化しているので、それほど問題ないであろう。軌道計算については計算機が月面着陸時代よりも正確にできると思う。もっと問題は、物理的なロケットの方で、材料、設計、これらをくみ上げていかなければならず、さらにテストによってイレギュラーを体験して安全装置を練り上げていかなければならない。そのイレギュラーの数がISSに行くことや、月面着陸と比べると恐らく天文学的に多くのことを考えなければならず、機体自体について設計が一番のハードルであろう。これは帰還時の機体についても考えなければならず、理論上の計算だけで実行するわけにはいかない面もあるので、ある程度の時間と金が必要になるのであろう。

地球温暖化の解決方法

二酸化炭素の排出が本当に地球の温暖化の主要因であるなら、二酸化炭素の排出量を抑える努力を行うことは、待ったなしの課題であり、各国政府は進めるべきであろう。産業分野の排出、民間分野の排出と色々あるだろうが、経済原則だけで進めるのは、困難である。

例えば、アンモニア発電にしても、海上風力発電にしても、バイオマス発電にしても、今のところ経済合理性に欠ける。石炭を掘ってきて発電するのが経済合理性から言ったら合理的だし、原油を掘ってガソリンで車を動かすことが経済的であることは間違いない。

これらの構造の転換を則すために何ができるのかというと、これこそまさに政府の出番である。経済合理性の低い活動を推進するためには、経済性ではない観点で意思決定を行う必要があり、一応、現在の社会は、ある程度の経済の不合理があっても、二酸化炭素の排出を削減しようという合意形成はなされている感じはある。

海の歴史

ただ、これを実際に、例えば石炭火力発電所で発電された電力に税金を課すとか、ガソリン税を3倍にするとか、そういった事は可能なのであろうか。カーボンプライシングは国民の合意形成が得られるのだろうか。今のところ、理念と理想が先行しているが、実際の投票行動は正直なもので、例えば自分個人が石炭火力発電所の発電による売電で成り立っている企業の一員だったら、自分の生活の困難を受け入れてまで、カーボンプライシングを支持する政党に投票するのだろうか。

例えばトヨタ等の自動車会社で考えて、彼らは勿論EVやHybridの開発を続けて、商業生産でも成功しているようではあるが、ガソリン税を3倍にするという法案に、関連従業員はみな賛成するのであろうか。自動車産業に何らかの形で関わる人というのは恐らく家族も入れると日本で数千万人単位となるだろう。このすべてとは言わなくても過半数が納得するのだろうか。

民主主義社会においては、例えば日本でいうと、国民の選挙によって選出された国会議員が立法を行う。そこで成立しないと法律は適応されない。官僚がルール作りをすれば実行されるような感覚を持つ人もいるが、そういう面もありながら、国民の合意形成は必要なわけで、パリ協定は騒がれているが、以前の米国のように離脱する国が表れても不思議ではない。

何を言いたいかというと、本質的な議論をあまりせずに、SDGsとか、レジ袋とか、なんか聞こえは良いのに本質的な意味がない議論が先行しているのが、現在ではないかということだ。ガソリン税を大きく上げて、交通量を減らすことが、一番の二酸化炭素排出量対策になる。そうすると車が売れなくなるから、というのなら、そもそも経済合理性を超えてまで対策をする気はないということになる。環境債とかも話が盛んではあるが、掛け声だけで終わる可能性を危惧するのである。

金融緩和のその先に

金融緩和、財政出動、米国はなりふり構わず、自国経済の維持、拡大、自国民の救済優先の策を打っている。これは当然と言えば当然であるが、基軸通貨のドルが世界に与える影響というのは小さくない。ドルの規律が壊れると、本日の日経新聞のオピニオンではないが、雪崩が発生しかねない。

金融緩和によるインフレリスク、これは以前にも書いたが新興国、発展途上国で顕著なリスクとなる。そういう意味で、米国政府、FRBが自国民の救済を強調しすぎると、歪が通貨が脆弱な国に偏ってしまう。それ自体は正当化されるものかもしれないが、正当化されるがゆえに、弱い国は指をくわえてみているのみ、そうなってしまう。

米国の長期金利が上がり、若干落ち着きを取り戻したが、今後もじわじわと上がっていくだろう。それにつれて起こるのは、脆弱な通貨を持つ国からの資金の退避の行動である。これは金利差が生み出す自然な流れであり、新興国通貨は下がらざるを得ない。避けるためには、自国の金利を上げるしかないが、このコロナで縮んだ経済の中、金利を上げると経済を冷やすリスクが生じてしまう。

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金利を上げないとインフレ加速、金利を上げると通貨価値は維持できるが自国経済活動は下火になる、通貨が脆弱な国にとって試練が訪れるのは、もはや避けられない未来となりつつある。これの引き金になりかねないのは、これもやはり米国でのリスクテイクが許容限度を超える瞬間だろう。

許容限度は状況次第で上下に変動するとは思うが、今回のアルケゴス騒動のように、だれもが想定していなかった金融システム上のリスクが明るみになったときに、一時的に許容限度が下がる、そういった時に耐え切れなくなる筋が出てくると、全体的にリスクテイクできないスパイラルが始まってしまい、新興国からの資金退避も始まる。資金退避は次の資金退避を引き起こすようにドミノ的に進んでしまうので、誰かが意図的に政策で止めないと、90年代末のアジア通貨危機のように行くところまで行ってしまう。

止められるのはIMFなのかOECDなのかUNなのか、米国なのか分からないが、今の状況だと中国なのかもしれない。比較的ドル高による自国通貨安にはつながりづらい環境になりつつあるし、中国経済はある意味では政府主導で盤石である。そういった環境下、ある一定まで新興国に打撃を与えてから、救済に走ることで支配を強める。そこから新たな冷戦と呼ばれる世界に入っていくのかもしれない。

民主主義とは何なのか (文春新書)

世界は繋がっており、超大国の米国がコロナで落ち込んだ経済を救済するために、自国民のことだけを考えた政策に走り出した。この歪みが脆弱な国に負の影響を与えて、超大国に敵対する国が覇権を広げるチャンスを得る。No.2の国がさらに力を増すことにNo.1は警戒するわけで、そこに冷戦、もしくは局地的な物理的な衝突、これらが発生してしまうのかもしれない。