出口戦略について

出口戦略について

世界的な株式価格の上昇がみられており、それに伴い資産効果なのか、リスクテイク、リスクオンというムードになってきた。半年前には考えられなかったが、株式の大幅上昇、銅やニッケルや原油のような投機性がある商品価格の上昇、仮想通貨の上昇、新興国通貨の上昇も見られるようになってきた。資金があふれ出し、株高による資産の増加も伴い、特にプロ投資家、資産かがリスクを取るようになってきている。逆に安全資産である金や日本円は下がるという形になっており、リスクオンのムードは非常に強い。この流れは個人にも波及しつつあり、ムードであるから少なくとも半年は続くであろう。

ムードというのは伝わる相手によって伝わる速度が違うもので、敏感な人もいれば、鈍感な人もいる。敏感な人が感じ始めるところから鈍感な人が感じ始めるまで半年や1年かかるだろうから、ムードに彩られた相場はある程度長く続くものだと思う。この調子で個人のリスクオンムードも2021年は続いていくだろう。コロナの方で言うとワクチンは一定の効果を上げるだろうから、2021年内の相場は強気に展開していく事が予想される。

ではリスク要因というか不安要素は無いのか、という問いになるが、今のところ短期的には無い、と言えるのではないだろうか。紛争リスクというのは抱えており、中東での紛争リスクがあるかもしれないが、それとて原油にはプラスに働くだろうし、コロナでサプライチェーンが分断されても経済が劇的に持ち直した2020年という年を知る人たちはあまり動じないだろう。それくらい今回の相場は強気で不安要素が感じられない。

これを支えているのは国家による金融緩和と財政政策である。以前にも述べたが、これを国際協調という名で、主要国が談合をしながら進めているので、根本のところで投資家、資産かは強気なのである。何かあっても国が助けてくれる、これがムードを支える一番の要因になっており、まさにコロナ禍で演じられたのはこの点であろう。株式の下落、失業率の上昇、貧困の増加に対して、国家は出動する、このメッセージを好意的に受け取っているのが今のムードである。管制相場と呼ばれる所以でもあるが、これを世界主要国が足並みをそろえてやっている事が現在の相場に繋がっている。では、この政策は未来永劫続けられるのか、という点に対しては、今のところそうではないという意見が多いだろう。国家債務を無限に増やすことは出来るのか、という問いに対しては、Noという人が今のところ多く、米国の金融緩和も2023年には出口を探る、そういった形になっている。国家債務を無限に増やせるかどうかは、国によっても異なるので、今後の議論が必要ではあるが、出口を意識しなければならないと仮定した場合に、そこでソフトランディングする事が出来るのか、というのが問題になってくる。

ソフトランディングを目指すと、恐らくは金融緩和を簡単には止められなくなるだろう。一種の麻薬みたいなものであり、行きつくところまでいかないと、この金融緩和の出口という所にたどり着かないのではないかと思う。行きつく先というのは、コントロールできないインフレと長期金利の異常な上昇という事になるのだが、その影響が先に出るのは新興国と言われる国々であり、ドル建て債券の金利払いの増加、自国通貨の過剰な変動、これらによって経済がボロボロになる可能性がある。出口が意識され始めた時期に新興国の一部で恐らく影響が出始めるのだろう。資源を持たない貿易赤字国であるトルコ辺りはしんどいかもしれない。ただ、その影響を見守っていれば、先進国市場の資産価値というものは国に支えられる安定資産と呼ぶことができるかもしれない。コロナというきっかけが、主要国間の談合による、同時大規模金融緩和を許してしまい、それが魔法の杖のように働くことが証明されてしまったのである。この旨味については皆忘れないし、今後の危機の時にそういう対応をしない政府には国民からNoという審判が下る事になる。これからも主要国の資産価格は下がらず、リスクが新興国にマグマのようにたまっていく、そういった図式にならざるを得ないのかもしれない。

香港の中国化とアヘン戦争

2020年9月4日の日記より

香港の中国化とアヘン戦争

香港が中国に返還されたのは1997年で20年以上が経過したことになる。じわじわと進められてきた同化政策が本腰を入れられ、民主化勢力と中国政府勢力の衝突は昨年から報道をにぎわせている。西側のメディアは一国二制度を守り、西側寄りだった香港を今まで通り維持する方向を支持する報道であり、日本もどちらかというとそちらを追随するような報道が多い感じがする。香港の金融センターとしての機能、観光地としての魅力を総合すると当然のことのようにも感じる。

しかしながら歴史を紐解くと、植民地主義の最終段階として東アジアにまで欧州の勢力が伸びて来た時に、アヘン戦争を仕掛けてイギリスが香港を割譲したのが発端である事は忘れてはいけないのではないかと思う。筆者が小学生の時に香港はイギリス領土で1997年に返還される予定だと習ったが、こんな理不尽な話は無いと思った。植民地政策の苛烈さと、如何に欧州諸国が自国の利益のためだけに生きていたのか、という点を強調するような出来事だった。筆者は正確に調べたわけではないが、学校の知識で言うと、不平等貿易を押し付けられた中国側が英国に反発して、その報復として英国がアヘンの貿易を迫り、中国側は取り締まろうとしたが、巧妙に国民に浸透してアヘン中毒者は増えるは、貿易の不均衡(中国側の貿易赤字)は増えるは、傍若無人である。その貿易のための租界地として香港があったと記憶しているが、言い方は極端かもしれないが、例えば日本で言えば、沖縄は返還依頼一国二制度でアメリカの法律が適応される状態だったものが、日本の制度を適応しようとしたら沖縄の人々が怒り出し、アメリカが日本政府を批判する、というようなものである。沖縄本土復帰当時の国民感情がどうであったかは、詳しく知らない立場ではあるが、今の常識から考えた場合、我々日本人は「日本の領土になったのだから、日本の法律、日本の制度が適応されるのが当然だろう」と考えるのが普通ではないだろうか。

勿論、日本と米国に対して、中国と香港の違いというものは大きさが違うのかもしれないし、制度的に異なる面が大きくある、そういった突っ込む点はあるのだろうが、大きく見れば、こういう言い方が出来なくもない。

こういう所で報道というものの怖さを感じる次第で、報道では中国は軍隊を使って“民主的なデモ活動”を鎮圧しているという映像を強調し、軍隊の恐ろしさを植え付けようとする。ただ、国の秩序というのは、安心な国民生活のためには必要不可欠であり、治安維持は国の最優先事項である。国民もそのために税金を払っていると言っても過言ではない。米国でもBLM運動に対する軍隊の出動を批判的に見る向きが多く、日本のワイドショーでもコメンテーターと呼ばれるよくわからない人たちが、「一般市民に対して、一般市民で構成されている軍隊が銃を向けるなんて信じられない。物騒だ」という単純化して、偽善的なところだけを抜き取った歯の浮くようなコメントをしているケースがある。それをトランプ大統領のせいにしておけば、日本のワイドショー的には、悪の権力に立ち向かっている正義のヒーロー感を演出できてしまうのである。

しかしながらBLM運動も色々あり、暴力的であり、略奪をしているケースもある。そういった中で治安維持というのは国家として最優先事項であることは言うまでもない。しかも警察組織が批判にさらされ、国民の批判を受けている渦中であれば、警察組織による治安維持に不安が残る状況であり、軍隊の投入は正当化されると思う。軍隊の投入は自国軍隊を自国地域に治安維持のために送っているだけであり、どこかの国の侵略を進めているわけではないし、税金を使った治安維持である。これが批判されるのであれば、治安はどうやって維持されていくのであろうか。 治安維持と人権問題をもしかしたら比較したくなる方もいるかもしれない。二者択一論という単純化により、人権問題の方が重要なのだから、軍隊で声を消してしまうのは、如何なものかと。まず言える事は、これは対立事項では無いという事であり、人権問題の解決を行いながら、治安維持を行う事が重要であり、人権問題の議論を行うにも、反対的意見の立場の人に襲撃される、殺される、という恐怖がある中では正常な議論は出来ないはずであり、人権問題の議論はデモが鎮圧されたらおしまいではなく、治安が維持されてこそ正常な議論が行われると、認識すべきであろう。トランプ大統領が対立をあおっているという言い方を好きなマスコミが多いが、対立をあおっているのはマスコミの方だろう。その方が視聴率が取れるのは間違いないので、企業活動として利潤を追求する立場からは批判をしないが、責任転嫁をして権力者を貶めている様では、先を思いやられる。そういう浅はかな戦略は見透かされており、国民は責任転嫁をされている人を支持するのである。マスコミが報道する世論調査の結果にはあまり反映されないが。そういった面からも、今回の大統領選挙もトランプ大統領が勝利するのではないかと、筆者は考えている。

海洋性民族

海洋性民族

日本人は魚をよく食べる。もちろん他の国の人々も魚介類を食べるのだが、例えばアメリカ人、特に中西部のような大陸の真ん中にあるような地域では魚を食べるというのはかなり稀な行為だ。そういった意味で、日本人は平均以上に魚介類というか、海洋性の食物を多く消費する方の民族であることは間違いなさそうだ。

海の歴史

日本人の祖先は二系統ありそうなことは昨今多く言われており、南、もっと言えば、出アフリカ以来海岸を移住してきた南方系の、海洋性の集団があり、インドからマラッカ、ベトナムと移動して日本列島に至った民族集団であり、この言い方が正しいのかはわからないが以前の言い方では縄文系と言われた、比較的彫が深いタイプの顔つきの人たちが一つ。もう一つは大陸系と言われる、中国、朝鮮半島から移住してきたタイプの民族があると言われている。世界地図を見た時に、大陸経路と海岸経路が出アフリカで分かれてから、日本列島という有る意味では袋小路で会いまみれるというのは、壮大な歴史を感じさせるし、人類の多様性を改めて実感する。ホモサピエンスが地上に現れたのは20万年前と言われ、そこからは諸説あるようだが出アフリカをしたのが10万年前として、日本にホモサピエンスが住み始めたのが3万年前とすると、7万年の別れを経て、日本列島にて再開した、という言い方も出来そうである。もしかすると10万年かもしれないし、5万年かもしれないが、いづれにせよそれくらいの年月を経て、経路による違いは恐らく大きかったと思われる。7万年とかいうオーダーはそれくらい種を大きく変える事が出来る。

さらにいうと恐らく両系統共に、他のヒト種との交雑が行われたのではないかとも言われている。海岸性の民族の方はジャワ原人なのか、フローレンスにいたヒト種なのか詳細は分からないが比較的小型のヒト種との交雑があり、恐らく浅黒い肌、堀の深い顔、比較的多い体毛、これらはそういった種の影響かもしれない。北方から来た大陸系はデミタス原人とか、もしかしたらネアンデルタール人の影響もあるかもしれないが、いづれにせよこちらも他のヒト種との交雑があった可能性が高い。

当時の人々を考える際に、現在との多様性の違いに驚かされる。進化人類学的に物事を捉えて、現代社会と比較するという考え方があるのかどうかわからないが、種の壁を越えて交雑するという多様性は、現生人類にはない。これは大きな違いであり、当時の人々の野心的な気持ちというか種の保存のために出来る事は何でもしていた、という点が意識的、無意識的、考え方はあるが、興味深いし、尊敬に値するともいえる。また、現代に比べて圧倒的に生存する難易度が高いにもかかわらず、何万年もかけて東へ東へ進出していったバイタリティーも現生人類に比べると、非常に大きかったのではないだろうか。もちろん、食糧が無くなって、余剰人口が止むを得ず、移住地を求めるために未開の東へ進んだという面が強く、さらにその中でも何例もの移住が失敗に終わり、何万年という年月をかけて、かなりの失敗を経て、徐々に東に来たので一概には言えないが、現代の感覚から言っても、未開の地へ大した科学技術も持たずに進出していくのは、火星への移住位野心的とも感じる次第で、尊敬に値する。

人類の歴史というのはそういった多様性の維持を積極的に獲得してきたからこそ紡がれてきた歴史であり、これをないがしろにすると中長期的に悲劇を招くだろう。スケール感が異なる話にはなってしまうのだが、多様性というは重要視すべき価値観の一つであり、対義語的な同一性、同調性、閉鎖性、これらが台頭する時は、人類が悪い方向に進む時なのだろうと思う。歴史を紐解いてみても、卵が先か鶏が先か的なところはあるが、大戦争が起きるのは、同調性や排他性の圧力が強まる時であり、人類は殺し合いを行うのである。それに至る過程は、もちろん生活の困窮であったり、富の奪い合いから始まるので、生きるために殺し合いを行うという逆説的な言い方になるのだが、少しでも多様性の尊重という意識を持っていれば、避けられる戦争、対立もあるのかもしれない。それが20万年もかけて人類が繋いできた事であり、繁栄した理由かもしれない。それを否定する事は、人類の繁栄に反旗を翻すことにもつながりかねず、今一度多様性について考え直す時期なのかもしれない。