民主主義の怪しさ

現在東京においては緊急事態宣言というものが出されており、今年に入ってほとんどの期間が緊急事態宣言という、皮肉というか言葉の意味から言っても緊急なのか恒久なのかよくわからない状態になっている。オリンピックのためだとか、マスコミはすぐ悪者を作って世論形成をしようとするが、そもそも緊急事態宣言に至っているのは、マスコミが作り上げた世論によるところが大きいだろう。

毎日のように「感染力の強いデルタ株が」と報道していれば、危険な状態になってきていると感じる人は増えるわけであり、7月上旬に緊急事態宣言を出さなければ、それはそれで猛烈な批判を政府は浴びていたであろう。

要は正解がない中で、全力を尽くして対策に当たっている人に対して、正解ではないからと言って批判する知識人とか、専門家と呼ばれる人が多い。こんな状況で正解のかじ取りはなく、うまくいくはずはない。何故なら、スペイン風邪以来の大規模な疫病であり、現代社会において対策がないからである。アメリカなんて何十万人もなくなっており、アメリカの対策に比べて日本の対策はどうなのか、そういう議論もない。

また、緊急事態宣言をした場合のメリットデメリット、しない場合のメリットデメリット、これは批評者であるマスコミや、国民が考えなければならないことであり、政府は考えたうえで対応していると思う。このような状況整理もせず、「自分が思った社会にならないから」という幼稚な精神で何でも批判するのがマスコミにしか見えない。

民主主義とは何なのか (文春新書)

ただ、言葉だけは巧みなので、幼稚な精神性でもさぞ色々考えたような雰囲気を出せるし、その為に、服装やしゃべり方の演出、そういったもので誤魔化して報道を続ける。情報弱者である高齢者がそれを真に受けて、徐々に洗脳されていき、政府は何にもしていない、悪い判断を行っていると考えるようになる。

冷静になって考えてほしいが、東大卒が多い高級官僚が色々と考えて、省内で議論もして作り上げた政策と、マスコミがうわべだけで批判していることのどちらが正解に近い可能性が高いだろうか。マスコミに優秀な学生が就職しなくなって久しいと思われるが、基礎的な認知能力にも差があるわけであり、状況把握、状況整理、政策決定、これらについて筆者は圧倒的に官僚の政策を信じたいと思うに至るわけである。もちろん、政治家というのは文字通り政治が絡むものであり、ストレートフォワードに正解に近い政策に至らないかもしれないし、省庁のトップの意向によって政策が変わってしまう場合もあると思うが、基本的に予備調査、状況把握、状況整理、ここまでは少なくとも官僚が行っているはずである。

そういう意味でいうと、今の姿というのは真面目な政策実行を行おうとする官僚に対して、扇動家のように薄っぺらい論理で大衆を言葉巧みに導くマスコミ、この対立構図がうかがえる。歴史を紐解くと、扇動された国民というのは誤った方向に国を導く。ナチスドイツもそうであり、戦中の日本もそうだったはずである。国民の意思というのは非常に危険である。認知能力が低い人も多いわけであり、そういう人たちが例えば多数派になってしまった場合に、正しい結論を導けるのであろうか。不満げに政府批判を繰り返す人たちを見て、この人たちが大臣になったりしたら、この国は崩壊するな、と思い、しかし扇動家によってそういった政治体制が作られつつあるのかもしれない、とも思う次第である。

NBA Final

米国のバスケットボールリーグであるNBAのFinalが佳境を迎えている。ヤニス・アデトクンポがいるMilwakeeがリードしており、このまま初のタイトルを取って欲しいという気持ちがある。破壊的な力を持っており、高さ、強さ、スピードの全てを兼ね備えたスーパースターである。

ただ、個人的なものなのかもしれないが昨年のような盛り上がりが出てこない。レブロン・ジェームスや、ステファン・カリーがいないのが、直接的な原因な感じがする。特にキングレブロンがいないことは、大きな落胆であり、Lakersがいないことを残念がるのはオールドファンなのであろうか。

当方はアメリカ人ではないが、レブロンのような生粋のアメリカ人が活躍して、米国が盛り上がる姿を見たいということなのかもしれない。アデトクンポはギリシャ人であり、もちろん活躍は素晴らしいし、選手としての才能は計り知れないものがあるのだが、Milwakeeの人でないと、なかなか感情移入ができないのかもしれない。

このことは野球にも言えることで、デレック・ジーターやケン・グリフィーJr、バリー・ボンズのような超がつくほどのスーパースターは米国人な気がする。もちろん、米国のスポーツにおいてという意味であり、サッカーやテニスでも同じような感覚が当てはまるわけではない。

何を言いたいのかというと、米国の4大スポーツは米国のスポーツであり、国際化が進んでいるとはいえ、米国民が盛り上がることでスターが作られていくわけであり、国民的な盛り上がりは必須条件になってくるのではないかということだ。国際化が進んでいることは競技としては有意義なことであるが、米国民は米国人のヒーローを望んでいるわけである。

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これは八村塁選手を見ても同様なことが言える。日本人はNBAで活躍する八村選手を見て興奮するが、米国人にとっては単に若手のスキルフルな選手であり、スターと呼べるほどにもなっていない。これは、自国民へのバイアスがあるということなのであるが、当然のことであり、4大スポーツにおいて米国人がスーパーヒーローになりがちなのも、当然のことなのである。

アデトクンポ選手がギリシャ人だから盛り上がらない、という言い方をすると、昨今では差別的にすら聞こえてしまう。しかしながら、誰しも少なからずアイデンティティを持っており、そのアイデンティティが自国民の活躍を願うわけであり、そこから言うと米国のスポーツリーグで米国人がメインキャストでなければ盛り上がらないというのは、当然である。逆に言うと過剰な差別退避意識というのは、アイデンティティを消し去る方向に繋がっていく。

こうやって見ていくと、オリンピックに反対する勢力というものの特徴が分かってくる。例えば東京五輪であれば、反対勢力は、日本という国に反対する勢力、日本という国が盛り上がること、日本という国にアイデンティティを持つ人が盛り上がることを反対する勢力なわけであり、これは戦後の歴史ではちょくちょく出てくる例の集団である。1950年代、1960年代に教育を受けた世代に多いわけであるが、この人たちが早く退場してくれないと、普通の国としての国の誇りとか、国民意識、そういったものを醸成する議論は開始されて行かないのだろう。それでも、そういった集団は年齢を重ねて勢力は衰えつつある。1980年代、1990年代は君が代問題とか、歴史教育問題とかうるさかったが、今はあまり聞かなくなってきている。

オリンピックを開催するにあたり、国とか国民とか、そういったものとの距離感を測るいい機会に感じた次第である。

イノベーションの歴史

詳しく何かを調べながら書いているわけではないので、まさに徒然なるままに考えるわけではあるが、歴史上の大きなイノベーションについて考えてみた。大航海時代、羅針盤と大型帆船によって世界の距離が縮まった。貿易が拡大されていった。活版印刷、これによって書籍や出版というものが産業になった。ダイナマイトや航空機の発明、これらによって軍需産業という巨大産業が生まれるに至った。前後するが電灯というか電気の流通によって人の生活は変わった。蒸気機関については色々なものを変えることに至ったが、産業の工業化の進展に影響した。

これらのことは産業の創出という意味で大きな変革を与えた。貿易商が生まれ、印刷会社が興ることになり、軍需産業、電気にかかわる産業、機械工業、これらが生み出されて、労働というものの質が変わっていった。国民に影響したのは、労働生産性の向上であり、金銭的に豊かになる時代へと移っていったわけである。

一方、産業という意味ではなく、大衆化に繋がったイノベーションもいくつかある。民主主義社会という王政を打ち破って作られたものであり、民主的な選挙による政治運営という概念を生み出した。ヘンリーフォードによる自動車の大量生産は産業的な意味もあるが、移動というものの民主化を引き起こした。そこから時代はかなり現代に近づいてくるが、インターネットの普及というのは、今度は個人が世界各国の情報へのアクセスをとれるようになり、情報の大衆化を生み出した。

世界を変えた14の密約

これら、政治の大衆化、移動の大衆化、情報の大衆化は、もちろん豊かさも生み出してはいるのであるが、個人主義というか、個人の権利や個人の能力の尊重を助長するようになった。文字通りの大衆化ということではあるが、20世紀特に後半から加速的にリベラルな社会が広まっていった。

では21世紀は何が起きているだろうか。産業化、大衆化、その次は何なのだろうか。コロナウイルスの感染拡大はその転機となったのだろうか。コロンブスやマゼランによる大航海時代は貿易による世界の距離を縮めるのに役立ったわけっであるが、個人の功績もそこにはある。民主化に繋がったのは王政の怠慢や制度疲労があるが、王族自体の問題が引き起こした面もあろう。二度の大戦は航空機や自動車の発展に大きく寄与している。そう考えるとコロナウイルスが一つの触媒になっているということは考えられる。

今後の20,30年を考えると、今のイノベーションを見てても圧倒的に進むのは仮想現実化、これがキーワードであるだろう。20世紀の目から見たときに、21世紀の現代はすでにかなりの部分でこのことが進んでいる。AMAZONの店舗はまさに仮想現実上の店舗と言えるわけであるし、ゲームや映画のエンターテインメントでは仮想現実が進んでいる。フィンテックにより、株式投資、資産運用、預貯金の存在についても既に現実空間で行っておらず、携帯電話やPC上で完結するわけである。仕事にしても一気にリモートワークが拡大しており、職場の仮想現実というとたいそうな表現ではあるが、ある種そういう状況ではあるわけであり、これは不可逆的な変化であることは間違いないと思う。

コロナ禍が終わり、以前の日常に戻るという人もいるが、少しでも楽な方に変化した時代は逆戻りしないと思われる。そういう観点から仮想現実化という流れは不可逆的であると言え、筆者の予想では戻ることはない。どんどん物理的な移動をしない社会というのが広がっていくだろう。もちろん、例えば音楽ライブを見に行くように、例えばたまには映画館で映画が見たくなるように、例えば海水浴に行きたくなるように、一定の余暇の部分での物理的な移動は残るのだが、これはあくまで余暇だからやるわけであり、効率性が最重要視される産業とか仕事とかいう観点でいうと、仮想現実化の流れには逆行できないのだろうと思う次第である。