再生可能エネルギーによる発電

2020年8月20日の日記より

再生可能エネルギーによる発電

小泉環境大臣の意欲的な取り組みもあり、昨今、再び再生可能エネルギーによる発電が注目を浴びているように感じる。SDGs投資への傾倒もあり、世界各国で火力発電を縮小、再生可能エネルギーによる発電推進、という流れが再び出来つつある。

思えば2000年代にも同様の雰囲気はあった。ドイツやスペインで太陽光発電の買い取り制度が出来、補助金をつぎ込んで高値買取はするが、消費者には影響が出ないように政策で導入していくというものだった。日本も2009年から導入されて、一時期飛躍的に太陽光発電への投資が増加した記憶がある。結果としては、ドイツ、スペインも制度的には失敗だったと新聞紙上なんかには書かれていた。日本の制度もそうだったが、導入時に約束された補助金というか予算が時間と共に減って行き、結局投資した企業や個人が思っていた価格で買い取りがなされず、事業として思わしく回転しなかったという事になった。市場原理を無視して導入したものを、市場原理の中に徐々に落とし込んでいこうという事だったと思うが、政策決定を行う人が思うほど、市場は優しくなかった。

2000年代後半に何があったかというと、「不都合な真実」に代表されるような温暖化議論である。「不都合な真実」の公開は2006年、その後2008年までバブルが膨らんだわけだが、当時と今で似ていると感じるのは、当時も過剰なローン商品の開発により資金の流動性が異常に高まっていたというのがリーマンショックを終えた後の分析で得られた見解であり、現在もコロナショックの前から流動性はどんどん高まっていたし、コロナでさらに高まった。投資家が、「金はある。さてどうしようか?」と考えた時に、今までとは違う潮流を作って、一儲けしてやろうと考える、昨今のSDGs投資はこの流れが強いのだろうと感じるし、リーマン前後のある種過激な温暖化議論もそういう側面があった。買い取り制度を比較的早期に大きく活用したところは大儲けをしたはずである。

さて、日本の買い取り制度の失敗は、だれも責任を取らず、大震災と政権交代でなかったことになっている。立ち上げ時に補助金を大量注入して市場参加者を増やしたうえで、あとは市場原理に任せる、という方法では無理があり、結局、発電事業者は経済的な火力発電に戻ってしまう。原油価格が比較的落ち着いている現在であればなおさらそうなる。ではどうすればいいのか。最初のオプションは、逆の方向性である、規制強化と言う事になるだろう。これを小泉大臣は言っていると思う。比較的低効率の火力発電所を認可しないとか、今後停止する方向にもっていくとか、そういった規制サイドの政策をとっていくというのが再生エネルギー比率を増やすのに有効というのが、現在の考え方に繋がっているだろう。それでことは進むのだろうか。恐らく産業界からの強烈な反対が出てくるだろう。コロナで業績が痛んでいる状況においてはなおさらであり、コスト競争力がない電力料金が、産業の競争力をそいでしまうという、反対意見に繋がっていき、骨抜きの政策になっていくのが日本の場合往々にして考えられる。

結局優先順位の問題であり、再生可能エネルギーにだけ拘らないで、もう一つ大きな視点での議論をしなければいけないと思うが、これは結局「現役世代の稼ぎ」対「将来世代の環境被害」のある種究極の選択であり、年金や、医療保険、子育て支援、働き方改革、これら多くの事に共通して言える対立軸なのである。二元論に単純化するのが良いとは思えないが、この対立軸を意識して政策を考える必要があるし、どちらも大事というだけでなく、もう少し優先順位を付けるべきではないか。

この点の歴史的な問題は、第二次世界大戦とその後の高度経済成長の時代の影響を大きく受けており、美化するわけではないが、第二次世界大戦はどちらかというと現役世代の稼ぎよりも、将来世代の幸福を考えて、日本国のために大所高所から物事が見られていた印象がある。一方、高度経済成長期には、これは占領政策のたまものだが、日本国という国の誇り、国に対する見方を変えさせられてしまい、個人主義が異常なまでに進んでしまっていた。それが経済成長を成し遂げた一因ではあるかもしれないが、異常に「現役世代の稼ぎ」の方向に振れてしまった。何年サイクルで変わっていくのかは分からないが、こういった揺り戻しの中で、戦後の政策は動いてきている。今、政治、マスコミ、といった世論を作る世代は、まだまだ個人主義中心世代が多いと思うが、40代より若い世代には、国家観とか、日本国の良さ、将来世代への責任、そういったものを考える人間が増えてきていると感じている。人口動態的にはこの世代が多数派となり世論を形成するのは2030年代半ばころになるかと思うが、それまでは上記の対立軸が混とんとする中で政策が決められているという、価値観変遷の混とん時代が続くのではないだろうか。もちろん、その中で徐々に個人主義世代の力が削がれていくので、徐々に政策が変わっていく期待も持ってはいる。

米国大統領選挙の本当の声

2020年8月21日の日記より(トランプ元大統領は敗戦しましたね)

米国大統領選挙の本当の声

米国大統領選挙については、筆者はトランプ大統領の再選とみる。理由は色々あるが、一つ言える事はマスコミによる論調と、世論調査にはそれほど意味が無いと言う事で、これは2016年にはっきりした。筆者は米国に住んでいたが、投票直前まで世の中はヒラリークリントン大統領が誕生すると思っており、老人で、強欲に映るトランプ大統領が誕生するとは、一般的には思われていなかったと思う。ただ、もちろん筆者が付き合いのある産業の経営に従事している層の人間はトランプ支持だったし、実際に投票した。そういった層の人間の声は、有力マスコミでは報道されない。これは日本もそうだが、マスコミとくにテレビ関係というのは基本的にはリベラルだからだ。世界は平等で、戦争が無く、格差がない社会であるべきだ、そういった思想が根底にはあり、下手するとそれを先導しているのが自分たちマスコミなのだ、それくらいのリベラルなのだと思う。

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だからこそ、先ほど述べた実際の産業の経営を行っている層の人間はマスコミとは一定の距離を置いており、世界は現実的なところであり、企業の経営というのは「やるかやられるか」の厳しい世界であり、自分の会社が生き抜くためには、中国の脅威を叩いてくれて、保護主義を守り、伝統的な工業製品の生産を米国内にとどめようとして、なおかつ法人税を下げてくれるトランプ大統領を支持するのである。こういったマスコミとは距離がある(大手マスコミは大都市にあるが、工業地帯は地理的にも実際距離がある)人々の投票行動は選挙前にはあまり見えないものである。日本人の感覚だと、例えば東京と長野県、であれば車でも往来できる距離であるが、例えばアメリカのミシガン州とNYのマンハッタン、というのは本当に距離があり、価値観も大きく違う。アメリカはUnited Statesというだけあって、州毎の独自色が、日本で言う県の独自色よりも強く、州を跨ぐと税制も、法律も違う。そういった中で、我々日本人が思っている以上に、アメリカ人という人物像を均一化してみる事は出来ないのである。

話を少し戻すと、実際の産業の経営者層は今回の大統領選挙でも多くはトランプ大統領に投票するだろう。この層は、温暖化は気にしないし、中国との摩擦も、現状維持で良いと思っているからである。バイデン氏の政策は徐々に見えてきているが、トランプ大統領との数少ない違いは、対中政策と環境政策、と言う事になるだろう。恐らくメディケアの拡充などというのは財源不足で上手くいかない。対中政策を融和方向にもっていきたいのがバイデン氏の政策になるだろうが、この点が今後の火種となる。以前にも書いたが、アメリカ人の共産主義に対するアレルギーは相当なものであり、これはロシアよりも中国において強く出ると思われる。ロシアは形上はソ連を解体して民主国家になった。もちろん野党指導者を毒殺したりとか本質的に民主的な国家と呼ぶには足らないが、共産主義アレルギーの人々においては、中国よりはましな状況である。マスコミの論調では、この点がまだクローズアップされていないが、今後FOXがけしかけるだろう。その時にラストベルトの人々、産業に関わる人がどういう選択をするかだが、恐らくトランプ支持に戻ると思う。

もう一つの重要な層である、若者、非白人、貧困を抱える層であるが、ここに訴求するポイントは、バーニーサンダース方式であり、どちらかというと共産主義的な左寄りの政策になってくる。若者がこちらに寄り易いのは万国共通だと思う。この層に訴求するための政策は、富裕層への増税、医療保険等のセーフティーネット、と言う事になるのだろうが、富裕層への増税については、この時期にバイデン氏がコミットできるかというと、そこにはバーニーサンダース氏ほどの強さは無い。バイデン氏自身が富裕層でもある。医療保険改革については、これは増税の議論とも重なってくるし、バイデン氏は$2兆ものインフラ投資をすると言っているが、こんな事は可能なのだろうか。増税が無いと実現できない政策が多いという、野党にありがちな選挙戦になってはいないだろうか。

勿論未曽有の危機と呼ばれるときには、実現不可能とみられる政策をあげる野党が与党を負かしてしまうと言う事はあり得る。今回の大統領選挙がそういう事になる可能性もある。しかしながら、筆者の見方としては、バイデン氏の上げる政策の実現可能性への疑問符、中国との近しい関係、民主党の中ではあまりに中道派過ぎて貧困層の掘り起こしに苦戦する、と言う事で、トランプ大統領を打ち負かすほどの票を集められないのではないか、というのが予測である。 個人的には副大統領候補にカマラハリス氏を指名して、黒人の父親を持つ多様性の高い女性を持ってきたことは評価しているが、アメリカの貧困層としての黒人に彼女の存在がどこまで響くのか、カマラハリス氏はもの凄いエリート路線で生きてきた女性である。この女性に対して、空港の掃除係をしている黒人男性は投票をするのだろうか。トラックドライバーは投票するのだろうか。この辺りが民主党中道派の限界であり、結局は共和党候補者たちと同じで、金銭的には大きく余裕があり、エリート街道を歩んできた候補者に落ち着いてしまう。色々なストーリーをちりばめていくのだろうが、ヒラリークリントンが躓いたのも、結局はこの部分なのだと思う。First ladyだった過去、弁護士だった過去、これらがある事で投票を避ける層が、少なくなく、しかもその層が民主党にとっての勝利へのキーになる層であるからこそ、大きな問題では無いかと思う次第である。

マスコミの本性

2020年8月25日の日記より

マスコミの本性

テレビを見る時間が本当に少なくなった。子供のころ、家に居る間はずっとテレビがついている状態だったような記憶がある。両親がテレビがついている事の安心感を持ってたからなのか、今みたいに携帯電話も無くテレビ以外に情報発信機器がなかったせいなのか分からないが、そういう印象がある。朝はズームイン朝がついていたし、夜はナイター中継がついていた。そういうのが日常だった気がする。

最近は子供たちと夜のバラエティー番組を見る事はあるが、その他は、一日に数十分NHKのニュースを見るくらいになった。特に避けたい気持ちがいっぱいなのは情報バラエティーと呼ばれる番組で、中身が全くない。恐らくはターゲットの視聴者層に筆者が入っていないのが大きいのだろう。昔に比べてテレビの相対的な存在感が無くなった結果、テレビの方も小分けにされたターゲットに対しての番組制作を行っていると思う。恐らくはいまだに豊かで暇を持て余している50,60,70代の主婦層がターゲットなのだろう。この辺の世代が一番テレビを見るし、この辺の世代の女性は働いていない率も高く、そういった意味でもテレビを見る。また、この辺の世代には社会に出た事がない人も時代背景的にも比較的多く、一般常識レベルの低さ、また複雑な事象を分析する経験不足、これらが相対的に顕著なものである。これに対して、一瞬の切り返しにだけは長けた謎のコメンテーター、喋りだけは上手な詐欺師のような番組MCと呼ばれる人々、が持論を展開するというのが情報バラエティー番組であり、筆者の価値観からは一番遠く、科学的な観点、実証主義、そういったことを一切無視している番組になっている。

見た事が無いわけではないが、どんな社会問題であっても、彼らがやっている事はとにかく視聴者の不安をあおる事であり、今回のコロナ騒動にしても、世の中そこら中にコロナウィルスが存在しており、自分という存在以外はばい菌扱いしようとする人間を圧倒的に増やしてしまっていると思う。こういった態度が、自粛警察や感染者への過剰な反応を増やしているが、いままでインフルエンザや風邪の流行期には皆さんどうしてたのだろうか、と聞きたくなる。手洗いうがいをやっておくこと、これを徹底すればさほどの脅威ではないだろう。それにしても不安が煽られており、街中を歩いていても60台の女性とみられる人の、他人を見る目は、本当にばい菌を見るような目だな、と思う事が多々ある。

こういった事は一見、情報バラエティー番組と、それを見ているベテラン主婦層の問題であり、テレビは見なければいいだろう、というご意見を頂きそうではあるが、深刻なのはこういったものが世論になってしまう事である。一つ目の問題は人口構成上、50代以上の人間というのは全国民の半数弱であり、選挙権を持っている人間で言ったら半数を圧倒的に超える。これは一般的な感覚から言うと驚きであるが、恐らく例えば歴史的なスパンで言うとごく最近である40年前でも恐らく相当比率は低かったと思われ、その時のイメージは現在生きている世代にもしっかりと残っており、イメージの中ではそんなに高齢者が圧倒的な多数を持っているとは認識できていないことがあると思う。しかしながら事実は、選挙を行えば、半数以上が50代で、もう少し経つと、半数以上が60代という社会もあり得るだろう。テレビが視聴率を取るためにこういった世代をターゲットとするように、政治の世界でもこういった世代をターゲットにすることが、当選への近道なのである。これは古今東西問わずだと思うが、若者は投票率が低い。それも相まって、選挙における政策のターゲットは高齢世代にならざるを得ない。

ここに大きな問題があり、そういった世代はまず複雑な社会問題を将来的な自分の問題として認識して、検証してきた経験が少ない事もあり、また自分の余命が相対的に短い事もあり、まず物事を中長期的に捉えない。また、DXであったり、働き方改革については勿論自分の問題として捉えてないし、子育てについても、究極的には自分に関係ないと考える。保育園の騒音に文句を言う爺さん、とかの問題がクローズアップされてたが、こういう人間がどうして自分の主張、わがままを表に出せるかというと、世の中で多数派であり、権力を握っているからである。権力というとオオゴトのようだが、間接的に立法権、行政権を行使して、国の政策を決めるための力を持っているのは、この国では高齢者なのである。権力者は高齢者なのである。子育て環境が整備されないのは国の問題だ、とか、働き方改革が進まないのは国の問題だ、とか、コロナ対策がいまいち成功しないのは安倍首相が悪いとか、そういった不平不満が的外れなのが、なんとなくわかって頂けると思う。

子育て環境よりも社会保険、高齢者の医療、年金受給額を守る予算編成になるし、DXに至っては高齢者には何のことかわからないので法整備も後回しになり、コロナについても経済を回すという感覚は無くとにかく自粛、これもマスコミが良く言う論調である。

高齢者の年金を誰が稼いでおり、だれが払ってあげているのか、こういう根本を議論する事はせずに、またそういった観点から中長期的な年金の健全な運用のために若者の雇用を増やす必要があるという議論もせずに、高齢者の目先のちょっとした利益のみを優先する社会が出来上がってしまっている。これは、人口動態的に仕方のないことかもしれないが、国家100年の計を考えられる高齢者がもう少しだけ増えてくれることを、望む昨今ではある。