植民地支配の意味

植民地支配の意味

日本が20世紀の前半に韓国の併合、日中戦争、太平洋戦争と大東亜経済圏を作ろうと邁進していたのは事実であり、当時韓国は日本の植民地というか、併合されていた。日本の法律で、日本政府が統治する形になり、もちろん税収も最終的には日本政府に入っただろう。

韓国政府が宣伝しているような、強制的な収奪や虐待などはあったわけはなく、日本と同じ法律が採用されて国家運営がなされていた。現在の韓国政府が言うような収奪が起きてしまうと、その併合した土地は持続可能ではなくなってしまう。民衆は疲弊して生産量が下がる事になり、併合というか植民地支配した意味自体が無くなる。

これは戦国時代の国盗り合戦でも同じことであるが、もちろん勝者による戦争中の略奪行為はゼロではないだろうが、基本的にはその土地で収穫できるものを収穫して税金として勝者が徴収する事が目的であり、それが短期的になくなってしまうような統治はしない。これは常識であり、勝ち取った国の民衆が持続可能に生産できる体制で統治しないと、国盗りをした意味が無い。特に戦国時代は石高が戦力を決める世の中であるから、むしろ征服された土地のコメの生産は増進する方に働くはずだ。

韓国併合時代もまさに状況はそうであり、日本政府の目的は、生産量の増大であり、その為の技術移転を行い、必要であれば日本本国から技術者の派遣も行う、そういったスタンスであったはずである。結果として韓国にいる農民の収入は増えるはずで、その上で税収が増えたと思われる。この税収を増やすというのは何をモチベーションとしているかというと、戦国時代と同じでまずは安全保障と言う事になる。

特に20世紀初頭の日本の置かれていた立場は微妙であり、アメリカや欧州列強が中国まで支配に入れつつあり、次は日本という状況になっていた。自らが生き残るために、日本は国家のサイズを大きくする必要性に駆られていた。これは安全保障上の要請である。国のGDPを飛躍的に増やして税収を増やすには、これは現代の企業経営にも通じるが、M&A政策をとるしかない。もちろん国家単体で見ても年に数%の成長が得られるが、M&Aのような植民地化を行うと、100%増までは行かないが、相手の国家規模が元の国の20%であれば20%増をするし、そこへ技術移転を行えば、100%が120%に増えて、120%が毎年数%の経済成長で拡大する、という好循環を生み出す。

植民地政策というのは現代で言えばM&Aみたいなものであったと思う。大東亜経済圏という連結企業のGDP総額を増額させて、日本国家への税収を増やす。このことが安全保障、すなわち軍事力に直接的につながる事になり、軍事拡大を達成できる。安全保障の力が高まり国家運営が安定する、これが究極的には国家運営の目的であり、だからこその植民地主義だったと言える。

一方で、日本に限らず植民地化した土地の統治というのは文化の違いなどもあり反発があり、これの統治は難しく、結局20世紀半ばあたりから、文化的なアイデンティティの目覚めがあり、多くの国の独立を呼んだ。それ以降国家はあからさまな植民地政策はとらなくなったが、企業を活用した対外直接投資によって自国に利益を呼び込み、税収を増やす作戦に出た。

これが国際企業の伸張に繋がって、現在のグローバリゼーションに繋がるわけであるが、租税条約を駆使しながら、外国に投資した企業の利益が自国に還流するようになっている。この分が国家財政を支えるというか、他国に比べて優位性を維持する仕組みになっており、国内経済的にはパイが小さくなりつつある日本もある程度の経済力を維持できている。

GDPは世界で3位である。ただ、米中の経済規模には及ばなくなり、安全保障上も一国では中国には対抗できない状態になりつつある。だからこその米国や他の自由主義諸国との連携は必要であり、今後も対外直接投資による間接的な植民地政策により国家財政規模の拡大を図りつつ、同盟国との連携に注力するという、政策が必要になってくるだろう。国内の内需刺激も必要だが、内需はある程度の範囲で変わらないものであり、国家規模を維持するためには、対外直接投資による貿易収支の増大が効いてくるのではないだろうか。

国防費に関する議論

国防費に関する議論

日本の国防費はGDP比で1%程度と先進諸国というか、色々な国と比較しても突出して低いと言われている。韓国は2.5%を3%に引き上げるらしいし、NATOという軍事同盟を結んでいる西欧諸国でもNATOの基準値は2%となっている。これはひとえにアメリカの核の傘、駐日アメリカ軍による抑止力、これら日米同盟、日米安全保障条約のたまものである。

尖閣諸島、竹島、北方四島、これらの領土を守るために自衛隊や海上保安庁は日々奮闘しているが、諸外国と比べて国防費が潤沢とは言えなくなってきている。もちろん日本のGDPの成長が止まっているから、諸外国の国防費に比べて相対的に費用が下がってきているからである。そういった状況の中、日本という国家を防衛というか文字通り守り、我々の子孫に安全で誇れる国を残そうとした場合、今後は国防費を増やす議論をしていかなければならない。

戦争を無くす努力をしていれば国防費、ひいては国防の配備すらいらないというような左寄りの主張はあるが、そんなわけがない事は戦争の歴史である人類史が物語っている。ヒトの行動原理の根本は欲望であり、相対的に他社よりも富を得たいと思っている。もちろん生存、遺伝的形質の保全、これらのために重要な事は言うまでもないが、最低限の生活ができていればいいと、本質的に一生思い続ける事が出来る人は多くはない。

皆が富を求めるのである。現代のような物質主義の時代になり、マネーが余暇や消費の中心となっていればなおさらである。国の中で富の争奪が行われるが、それでは飽き足らなく、国家間の競争に発展していく。さらには究極的には領土の奪い合いに発展するわけで、これは人類が数千年行ってきた事であり、これからもそうであろう。

そういう意味で国防費用というのは国家が考えるべきことの最重要な点の一つであるが、日本ではこれがなかなか進まない。敗戦とその後の教育によってあまりにもナイーブな老人が大量生産されてしまったからである。もちろん、明治維新以降、特に20世紀に入ってからの日本の拡大主義、軍国主義というのは、1945年の敗戦時に大きな傷跡となって帰ってきた。シビリアンコントロールの重要性を再認識するし、同盟の重要性も認識すべきであるが、改めて考えるべきは、国防における事前準備と、民主主義が善であるという偽善、これらであろう。

軍国主義の暴走を招いたのは、民主主義的な意思決定が無かったからではない。これはナチスヒトラーでも言える事だが、民衆の多くはその意思決定を指示しており、恐らく今以上に民主的な指示により、軍国主義的な方向に走ったと言われている。これは民主主義の怖い面であり、現在の色々な国で起こっている問題であるが、指導者というか政治家が弱腰を見せると、民衆という名の世論は一定の反発を示す。それがエスカレートしていくと、戦時中の日本やナチスドイツのような状況をもたらすのである。これが民主主義の暴走状態であり、危機の時は発生しやすく、2000年前後に始まった小泉政権も似たような感じがあったと記憶している。

こういったものの暴走を止めるには同盟関係という客観視できる存在が重要になるのであろう。国の内部は文化的にも感覚的にも同じ感覚に陥りやすいが、複数の同盟国家からブレーキをかけてもらう事が重要で、それこそNATOとか、軍事同盟ではないがEUはそういった民主主義の良い意味でのブレーキに少なからずなっていると感じる。

そういう意味では国防費の議論も一方に傾きやすい世論に対して慎重に議論していく必要があるのかもしれない。不安を煽り過ぎると国防準備を過剰にしないと不安だという世論が大きくなるだろうし、これはコロナ騒動でも見られた現象である。不安を解消してくれるのが政治であるというナイーブな人間たちが、政治に過剰に期待してしまう。税金を払っているんだから、全て解決してくれ、という安易な発想が大いに目立った。

事はそれほど簡単ではなく、コロナにしても国防にしても、完璧な対策などない。それを辛抱強く見てられるのか、という点が政治を見るうえで大事であり、コロナのケースで言うと日本は諸外国よりもそれが出来ていたのかもしれない。筆者の海外二か国での9年間の生活を通して感じている事は、政治家は国民の鏡であるという事だ。

国民が選出している政治家が政治をしているので、当たり前と言えば当たり前の事実かもしれないが、そういう認識をしていなく、「政治家は金に汚い」とか「政治家はうそつきだ」とか「政治家は民衆である国民大多数の意見を聞いていない」とかいう声はどこの国でも聞くが、それら国の政治家の「金の汚さ」「嘘つき度合い」「人の話を聞かない度合い」というのは、おおむねその国の国民の性質と一致している印象だ。もちろん個人差はあるが、適当な国民が多い国は政治家も適当に見える人が多い。「政府は綺麗事だけではなく、実行力を!」とか言っているキャスターがいたりするが、当人が実行力が無いんだろうな、と思うケースが多々ある。まずは、自分たち国民が選んだ政治家が政治をしていると言う事を改めて認識して、例えば資質が足りない国会議員がいると思うのであれば、それはそれを選んだ国民の資質が低いことの裏返しであることを自覚すべきだ。民主主義国家の政治を良くしたいのであれば、国民それぞれの資質を上げる必要があり、その為に教育であったり、自己研鑽、個人個人が意識を高める必要があるし、これは中長期的に政治主導で良いサイクルに乗せるべく、みんなが意識すべき事だろうと思う。

勤労感謝の日

2020年11月2日の日記より

勤労感謝の日

11月には文化の日と勤労感謝の日の祝日がある。アメリカ人と話していると日本の祝日の多さに時には呆れられ、海の日と山の日は特に、驚きを持って受け止められる。それがありなら何でもありだろ、という訳であり、おっしゃるとおりである。

さて、勤労感謝の日であるが、そのままの字面だと何の日か分からないが、アメリカのThanksgivingと一緒で、一年間しっかり仕事をしてきて、その収穫を得られることに感謝しましょう、という意味と、感謝の喜びを分かち合いましょう、というような意味になるでしょうか。北半球で言う所の秋の終わりに、このような祝日がある事は宗教を超えた人間生活の根幹の共通性であるように感じて、うれしいところがある。原始的な宗教を信仰していた時代から秋が収穫時期であり、厳しい冬を迎えるというサイクルは変わっていないはずで、秋の喜び、冬に備える、そういう時期なのである。これから寒くて暗い冬になるわけであるが、保存食を作ったり、燃料を集めたり大変な時期ではある。

その次に冬至が来る。これは原始的な宗教、特に太陽崇拝をしていた宗教においては非常に象徴的な日であり、太陽の力というか日照時間が一番短くなる時であり、太陽を神と見立てていた原始的な太陽崇拝の宗教では、神の力が一番小さくなる日と言える。

しかしながら、別の見方をすると、一番小さくなるが、この日以降はめきめきと力を増やしていく日という捉え方も出来、新たな神の誕生する日である、そういった考え方に昇華していったとも考えられ、当時は誕生、成長のゼロ番地的な象徴になって行った。それをうまく活用したのがカトリック教会であり、クリスマスである。イエスキリストの誕生日と言われるが、実際の誕生日は冬至の時期では無いというのが定説であり、なぜ12月25日にしたかというと、これが冬至直後の日である、という古来の太陽信仰から来ている。神が誕生した日にふさわしいわけであり、その日から太陽の力がぐんぐん伸びていくのである。

春夏秋冬という季節の捉え方ではなく、太陽の成長期と衰退期という考え方を取ると、冬至が誕生、春頃が青年期、夏ごろに壮年期を迎え、秋が老年期になるという形であり、キリストの生誕と冬至というのは合致してくるのである。これが何故上手く活用されたと言えるかというと、恐らくキリスト教やユダヤ教という宗教の以前に会った古来の原始的な宗教でも冬至を祝う習慣があったはずである。それは特にエジプト周辺の太陽信仰の跡を見れば、恐らくそうである。その習慣を活かしながら、新たな宗教を説くというのは、布教活動において常套手段のようであり、それも一つのキリスト教が広がって行った理由になるのだろう。

暦というのはそれほど意味を持っており、特に収穫や、太陽活動に関する祝日というか特定の日は冬至のように意味があるものがあり、古来からの重要な役割を追っている事が多いように感じる。天皇誕生日やマーティンルーサーキングデー、これらのような祝日もその国の歴史、アイデンティティという観点から重要であるともいえるが、山の日や海の日にアメリカ人が笑ってしまうのは、その理由の浅さから言っても、仕方のない事ではないだろうか。