2020年8月24日の日記より
昨今の災害について
確かに印象としては洪水は増えている感じがする。筆者は41歳であり、ある程度の知識が備わり記憶があるのが35年くらいあると考えると妥当だろうが、その期間に日本で発生する洪水は増えている実感はある。また、気温についても30年前の東京はここまで暑くなかったというのも実感として持っている。その代わり、当時の東京は公害とかの対応をようやく終えつつあるような状況だったので空気は汚かったし、なんか全体的に汚かった。
そこから30,35年経っているわけだが、実感として感じずらい数字としては、人口の集中が高まっている事で、95年の東京の推計人口は1177万人で、2020年7月の推計人口はほぼ1400万人となっており20%以上の増加をしている。人口の単純増加量だけでなく、さらには都心で働く人口が増えており、高層ビルの数や高さは増している。それらのフロアに全てエアコンが付いており、さらに家庭のエアコンの普及率は大体75%前後だったのが90%を超える状況になっている。家庭の室外機から排出される空気を触ったことがある方もいられるかと思うが、これが一日中出ているわけで、家庭内の空気が快適になればなるほど外気温は上がるのである。当然のことだが、これはヒートアイランド現象と呼ばれている。また、これは正確なデータを見れていないが、舗装率もここ30年で上昇している。これこそ実感がなく、今の現代を生きる我々は30年前も同じような舗装率だったと思いがちだったが、良く思い返してみると上述のように都内ももっと汚かった。舗装率も低かった。これも都市の気温を上げている一因だろう。もちろん、現在温暖化と呼ばれている現象についてヒートアイランド現象だけですべてが説明できるとは思わないが、そもそも温暖化という言葉が曖昧な定義に支えられている事も問題だが、地球規模の平均気温の上昇というのは、色々な要因が複雑に絡み合って起きていると言う事を、今一度思い返す必要があるという事である。例えば、全世界のエアコン普及率は高くなっているだろう。全世界が快適な方へ、快適な方へ進んでいるのでおり、それも一つの要因だと思われる。また、太陽の黒点活動の揺らぎも地球気温への影響要因の一つと言われている。地球の公転軌道の問題もあるだろう。また、上述した通り、世界規模で見た場合の舗装率の急速な上昇もあると思われる。
それらと比較した場合に、大気中に0.03とか0.04%しか含まれていない二酸化炭素の濃度が例えば10%上昇した、というのは本当に現在の気温の上昇を説明できるのだろうか。様々なモデルで検証されているが、気温上昇がありきで、それに合わせるように変数を設定した結果、確からしいモデルに調整していった、そういう雰囲気を感じてしまう。
恐らく本当の犯人を見つけることは出来ず、ここからは政治の駆け引きであり、エアコンや、舗装率の上昇に伴って販売数が増えるであろう自動車、というのは政治力の強い分野であり、レジ袋とか、ペットボトルとか、そういう分野をやり玉に挙げるのだろう。電気自動車なんていうのは、二酸化炭素排出量という意味では、排出量の低減にそれほど貢献しているとは思えず、これはもはやイメージ戦略であり、発電に石油や石炭を使わなくならないと意味が無い。ようやくそういった議論が昨今は進んできておりSDGsとか言われるようになってきており、特にOil majorには逆風が吹いているが、それは一方で市民がコストを払わなければならない世界であり、我々は許容できるのであろうか。究極的にいうと、今現在の生活の便利さと、相対する将来世代への投資という概念のぶつかり合いである。
これは民主主義という政治形態が一番苦手とする分野である事は、以前に述べた通りだが、政治の力でこれを乗り越える事は、民主主義という政治形態である限りなかなか厳しいものである。国際的な枠組みであるパリ協定とか、そういった仕組みでも無理だった。これも結局は利己的な考えが中心の民主主義に駆逐されてしまうのである。そういった過去を振り返ると、今こそSDGsという機運は高まってはいるが、民主主義が超えられない一線なのだろう。地球の温暖化は進んでいくという結論の元、生活をどういう方向に変えていくのか、そういったことに議論を移していった方が、効率が良さそうではある。