アメリカの現実

2020年8月13日の日記より

アメリカの現実

アメリカにも貧困層は勿論いて、ホームレスが多いのも日本人一般の知識として持たれているものだと思う。ただ、アメリカに長年住んだ経験から言える現実は恐らく、日本人が一般的にイメージしているものよりも劣悪である。

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西海岸のホームレスの多さは尋常ではない。穏やかな気候なので寒さで死ぬことは無いのだろうし、西海岸と言うGold rush時から続く一獲千金を夢見がちな気質から言ってもホームレスが多いのは仕方がないのかもしれない。ただ、うんざりするほどいる。LAと並んでSan Diegoにもよく行ったが、San Diegoは都市の規模、気候、治安、色々考えても米国内で老後を過ごす安寧の地としては非常に高い人気を持つ都市だと思う。しかしながら、あまりにもホームレスが多い。

また、中西部に住み、全米各地を飛行機で飛び回るという生活を行っていたが、人種による、クラス分けは嫌になるほど見てきた。空港やホテルなどの清掃、レジ打ち、引っ越し等の物流の運転手以外(運転手は白人が多い印象)、これらの仕事における、黒人、ヒスパニックの割合は、もはや人種差別と言えるくらいのレベルにしか感じられない。人種によるクラス分けが目に見えてわかるのである。一方、当方の仕事の関係で会う人は98%が白人。これは俗にいうホワイトカラーの人々だけど、白い襟と言う意味を持つホワイトカラーと言う言葉が、白人と言う言葉をそのままさしているようで気味が悪いほどだ。

リベラル側に立ちがちなテレビ等のマスメディアは本来であればこういった貧困、人種差別をもっと強調して、1%のWall streetが富を持っている事を叩くべきなのだが、米国のマスコミはそこには興味がなく、彼らは自分たちの役割と、何が儲かるのかを理解して運営している企業側=資本家側の論理なのである。

アメリカ人のショービジネス好きと、アメリカンドリームと言う言葉が好きなのは日本にいても分かる事だが、これが貧困生成装置なのである。アメリカ人と言うのはピルグリムが英国からやってきた時代から、夢見がち、幻想好き、そういった現行体制に不満を持った人々が一山あててやろう、と言う気持ちで来た人たちだ。彼らは夢見がちで、誰でもどんな境遇でも、身が一つあればアメリカンドリームを掴める、というのが頭の中にこびりついている。これは文化と言うか思想、宗教と言っても良いレベルだろう。顕著な例がスポーツ選手であり、ものすごいパワーとスピードのNFL選手は、年間に何十億円も稼げるようになるのである。また映画スター、歌手にしても出自や人種に関係なく、スーパースターになって、豪邸に住んで、高級車に乗れるようになる。こういうセレブリティ―を紹介する番組がテレビ上にも数多とある。これこそまさに宗教で、「努力であなたにもこういうセレブリティになれますよ。」もしくは「なれましたよ」と言う事を広く周知している装置なのである。また、視聴者側もそれを信じるように洗脳されていき、セレブリティにあこがれて、そういうったテレビや動画を見るようになる。スポーツ選手にしても、特に黒人が中心となって大金を得ていく様子を興奮してみているのである。これは、宝くじの当選者の報道や、カジノで大当たりした人間を報道したりするところにも反映されている。

そういった幻想を持って、本当の貧困者の声を押しとどめることがまず第一の役割であり、第二の役割はアメリカンドリーム教を世に知らしめること、これがアメリカの大手マスコミが仕向けている事の真相だと思う。

これは左派が育たない土壌もはぐくんでいる。共産主義に対する恐怖心も理由の一つであるが、貧困にクローズアップさせないように巧妙に仕向けいている。マスコミを含む企業側の体制派は、左派が育たないようにコントロールしているのである。

ただ以前から言っているように、今後はマスメディアの大衆化が起こってくる、というか既に起きつつある。今までも色々なものが大衆化されてきた。例えば、自動車等の移動手段、特権階級の物だったが、誰でも持てるものに変わってきた。ちょっと次元は変わるかもしれないが、資本(株式市場)、情報と、近年は恐らく30,50年前に比べるとそういったものも圧倒的に大衆化が進んだ。次に来るのはマスメディアの大衆化、市民一人一人が報道を作り上げる世界になってくるだろう。そういう面でFacebookやGoogle等のGAFAが覇権を争う世界には既になっている。

マスメディアの大衆化が進んだ世界がどうなるのか、恐らく意見が極度に対立化していく。左派は極左へ、右派は極右へ。そして分断が進むだろう。下手すると東西冷戦のような状況に戻ってしまうのかもしれない。米国内だけで見た時には、今はその移行期かもしれない。まだマスメディアがコントロールしている世界であり、民主党中道路線と、共和党中道路線と言うのが大統領選でも中心を走っているように見える。それにより極端な思想を持つ人の声が届いていないように見えるが、極端な思想を持つ連中は反発心を強めており、今後は過激な言論が出てくるだろう。非常に恐ろしいのはバーニーサンダースが引退した後に左派に過激な人が出てくることで、チェゲバラとかマルコムXのような武力闘争が展開されるような世の中は見たくない。ただ、そういった人々の言論というか意見の集約、勢力の拡大のためには、マスメディアの大衆化というのは好材料に働いてくる気がしてならないというのが本音のところだ。

民主主義と選挙権

2020年8月14日の日記より

民主主義と選挙権

民衆による選挙によって国会議員を選出、政治の中心とする政治形態が日本では明治時代から導入され、民主主義と言うように呼ばれている。その後、選挙権を持つ人間の対象が徐々に拡大され、今や20歳以上の人間であれば、基本的には誰でも選挙権を持つようになった。この150年間の歴史は、良いほうに変わっていった、選挙権の拡大は民主化の進歩であるというのが、一般的な考えのように言われているし、筆者が小学生、中学生の時の先生もそのように当たり前に教えていたと思う。

果たしてこれは、合理的なのだろうか。この事実ですら扇動された結果ではないのだろうか。それこそ、これは誰か特定の人間にとってのみ、都合が良い事なのではないだろうか。

国と言うものが存在する意味と言うのは、文化的な意味合いもあるのだが、一人では実行できないことを集団で実行して、個人の生活の平穏を守るために存在しているものだと筆者は考えている。例えば安全保障であり、例えば治安維持であり、例えば人権などの権利の維持であり、これらは個人単位では実行できない面が強いので、個人から税金を徴収して、国なり自治体なりの社会的組織が実行するのである。

原始的な社会においては、恐らく優先順位の一番は安全保障であったと思われる。ムラという次元から、国家と言う次元まで考えても、生存競争と言う生死を左右する戦いの中で、隣国を襲って食糧の確保であったり、富の簒奪というのが生活の重要なファクターであったからだ。その後、弱者救済的な政策のためであったり、快適な生活を保障するためのインフラ整備、そういったものを集団で行うために税金を徴収する、そういった社会に変貌していった。要は統治、政治、というのは、税金の使い道を議論するための機構であり、民衆が生産する限られた成果物の中から出し合った税金の使い道と優先順位を決めるのが、重要なファクターなわけである。

安全保障にも、治安維持にも、インフラ整備にも、弱者救済にも、なんにでも無限に税金が使えるなんてことはあり得ない。民衆が生産する成果物には限りがあるからであり、これはいつの時代、どこの場所でも変わらない真実である。だからこそ優先順位が重要になってくる。

次に重要なファクターは、時系列と言う事になる。1,2年の期間での成果を求めるのか、10,20年の成果を求めるのか、これも議論を呼ぶポイントになるし、場合によっては利益が相反するポイントでもある。

このように政策となり得る争点は恐らくかなりの数があり、それに時間軸を付けて、優先順位を付ける、これらの作業があってこそ、税金の使い道が決まってくるのだが、これを一国民が判断するのは非常に難しい。結局、自分に関係のある事、これに偏った判断になってしまう。それを多数決を持って決める、という暴力的なシステムが現在の民主主義だと言えるだろう。

何故暴力的かと言うと、非常に短期的な足元の社会情勢と、人口動態、これによって政策が決められてしまうからである。景気が悪い時は税収が少なく、失業者が増える。こういう時は直情的に安全保障、インフラへの予算が削られる。この流れはまだ論理的でありやむを得ないのだが、景気が悪いというのが時に客観性がないまま議論されてしまう所に問題がある。まさに今の日本の社会がそのままそうであるが、我々日本人は戦後から今まで大きく経済成長してきた歴史があり、それをバックボーンに持っている人間が、恐らく国民の半分程度いる。40代以上の人間と言う意味だ。この人間にとって0%成長と言うのは心情的に理解が出来ないのである。今日より明日の生活はよくなっているはずだし、今年より来年の生活はよくなっていると、どこかでそう捉えてしまっており、0%成長の社会において、生活に不満を持つ人間の割合は、どんどんそれこそ日に日に増えて行ってしまうのである。言葉を変えると、日に日にわがままになって、自分は満ち足りていないと思う人間の割合が増える。そうなると、弱者救済である社会保障への支出を増やそうという方向になり、人口動態から半数以上が40代以上であり、異常に社会保障への要求が強まってしまう。一方、ざっくりいえば30台、20台は0%成長にも慣れた世代であり、今の生活が維持できれば、それほど不満は無いと考えがちであり、もっと税金を将来への投資に向けようという気持ちになる。もちろん子育て世代であることもあるが、そういう意味で、若い世代の方が我慢が出来る世代になっているのである。

話を選挙に戻すと、逆ピラミッドの人口動態において、昨今議論されて、優先されている政策と言うのは非常に短期的な課題解決への傾倒が強いように感じる。国家100年の計なんて言おうもんなら笑われそうな勢いである。インフラ整備、安全保障、治安維持、そういった事よりも社会保障の話題が多く、民主主義の行き詰まりを感じる昨今である。

上記のように制度疲労を起こしつつある民主主義だが、その歪が近年大きく出てきていると感じるのは私だけだろうか。安全保障面で言うと、もちろん中国が台頭していると言う事はあるが、領有権問題が大きくクローズアップされている。そんな中、国防費用には大きく予算を付けるべきだと思うし、もっと本格的な議論を行うべきだろうが、わがままな老人たちは、「戦争反対、社会保障を!」これだけだ。今後ますます中国の台頭を許すことになり、20,30年後に領土を侵略されているかもしれない。老人たちはこの世にいないので関係ないのかもしれないが。インフラ整備にしても、昨今洪水が多く感じるのは、異常気象のせいなのだろうか。洪水対策に重要なのは、ダムの建設、堤防の建設もあるが、意外と見落とされがちなのは浚渫工事である。川には土砂が溜まるので、断面を見た時の底面はどんどん上がってくる。堤防の高さが変わらなければ洪水が起きやすくなるのは自明の理である。どこかの政党が「コンクリートから人へ」と高らかに謳っていたが、コンクリートも重要ではないのだろうか。また、80歳の方への高額医療の補助と、浚渫工事を行って洪水を避ける事、日本としてどちらに優先順位を置くべきなのか、そういう議論は必要ないのだろうか。

そういう議論を先導していくべきマスメディアが「アベノマスクはいらない」とか「桜を見る会がどうした」とか、そんな話ばかりして、鬼の首を取ったようにふるまっているが、そんなことはどうでも良いから、安全保障の話をして欲しい。ただ、マスメディアは自社の利益のために動いており、そういうアベノマスクや桜を見る会の報道を求めている視聴者がいるからやるわけで、そうった国家100年の計など考えた事も無いような視聴者が選挙権を持っていること自体がどうなんだろう、そこの点をもっと掘り下げてみたい。

米国大統領選挙の本当の声

2020年8月21日の日記より(トランプ元大統領は敗戦しましたね)

米国大統領選挙の本当の声

米国大統領選挙については、筆者はトランプ大統領の再選とみる。理由は色々あるが、一つ言える事はマスコミによる論調と、世論調査にはそれほど意味が無いと言う事で、これは2016年にはっきりした。筆者は米国に住んでいたが、投票直前まで世の中はヒラリークリントン大統領が誕生すると思っており、老人で、強欲に映るトランプ大統領が誕生するとは、一般的には思われていなかったと思う。ただ、もちろん筆者が付き合いのある産業の経営に従事している層の人間はトランプ支持だったし、実際に投票した。そういった層の人間の声は、有力マスコミでは報道されない。これは日本もそうだが、マスコミとくにテレビ関係というのは基本的にはリベラルだからだ。世界は平等で、戦争が無く、格差がない社会であるべきだ、そういった思想が根底にはあり、下手するとそれを先導しているのが自分たちマスコミなのだ、それくらいのリベラルなのだと思う。

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だからこそ、先ほど述べた実際の産業の経営を行っている層の人間はマスコミとは一定の距離を置いており、世界は現実的なところであり、企業の経営というのは「やるかやられるか」の厳しい世界であり、自分の会社が生き抜くためには、中国の脅威を叩いてくれて、保護主義を守り、伝統的な工業製品の生産を米国内にとどめようとして、なおかつ法人税を下げてくれるトランプ大統領を支持するのである。こういったマスコミとは距離がある(大手マスコミは大都市にあるが、工業地帯は地理的にも実際距離がある)人々の投票行動は選挙前にはあまり見えないものである。日本人の感覚だと、例えば東京と長野県、であれば車でも往来できる距離であるが、例えばアメリカのミシガン州とNYのマンハッタン、というのは本当に距離があり、価値観も大きく違う。アメリカはUnited Statesというだけあって、州毎の独自色が、日本で言う県の独自色よりも強く、州を跨ぐと税制も、法律も違う。そういった中で、我々日本人が思っている以上に、アメリカ人という人物像を均一化してみる事は出来ないのである。

話を少し戻すと、実際の産業の経営者層は今回の大統領選挙でも多くはトランプ大統領に投票するだろう。この層は、温暖化は気にしないし、中国との摩擦も、現状維持で良いと思っているからである。バイデン氏の政策は徐々に見えてきているが、トランプ大統領との数少ない違いは、対中政策と環境政策、と言う事になるだろう。恐らくメディケアの拡充などというのは財源不足で上手くいかない。対中政策を融和方向にもっていきたいのがバイデン氏の政策になるだろうが、この点が今後の火種となる。以前にも書いたが、アメリカ人の共産主義に対するアレルギーは相当なものであり、これはロシアよりも中国において強く出ると思われる。ロシアは形上はソ連を解体して民主国家になった。もちろん野党指導者を毒殺したりとか本質的に民主的な国家と呼ぶには足らないが、共産主義アレルギーの人々においては、中国よりはましな状況である。マスコミの論調では、この点がまだクローズアップされていないが、今後FOXがけしかけるだろう。その時にラストベルトの人々、産業に関わる人がどういう選択をするかだが、恐らくトランプ支持に戻ると思う。

もう一つの重要な層である、若者、非白人、貧困を抱える層であるが、ここに訴求するポイントは、バーニーサンダース方式であり、どちらかというと共産主義的な左寄りの政策になってくる。若者がこちらに寄り易いのは万国共通だと思う。この層に訴求するための政策は、富裕層への増税、医療保険等のセーフティーネット、と言う事になるのだろうが、富裕層への増税については、この時期にバイデン氏がコミットできるかというと、そこにはバーニーサンダース氏ほどの強さは無い。バイデン氏自身が富裕層でもある。医療保険改革については、これは増税の議論とも重なってくるし、バイデン氏は$2兆ものインフラ投資をすると言っているが、こんな事は可能なのだろうか。増税が無いと実現できない政策が多いという、野党にありがちな選挙戦になってはいないだろうか。

勿論未曽有の危機と呼ばれるときには、実現不可能とみられる政策をあげる野党が与党を負かしてしまうと言う事はあり得る。今回の大統領選挙がそういう事になる可能性もある。しかしながら、筆者の見方としては、バイデン氏の上げる政策の実現可能性への疑問符、中国との近しい関係、民主党の中ではあまりに中道派過ぎて貧困層の掘り起こしに苦戦する、と言う事で、トランプ大統領を打ち負かすほどの票を集められないのではないか、というのが予測である。 個人的には副大統領候補にカマラハリス氏を指名して、黒人の父親を持つ多様性の高い女性を持ってきたことは評価しているが、アメリカの貧困層としての黒人に彼女の存在がどこまで響くのか、カマラハリス氏はもの凄いエリート路線で生きてきた女性である。この女性に対して、空港の掃除係をしている黒人男性は投票をするのだろうか。トラックドライバーは投票するのだろうか。この辺りが民主党中道派の限界であり、結局は共和党候補者たちと同じで、金銭的には大きく余裕があり、エリート街道を歩んできた候補者に落ち着いてしまう。色々なストーリーをちりばめていくのだろうが、ヒラリークリントンが躓いたのも、結局はこの部分なのだと思う。First ladyだった過去、弁護士だった過去、これらがある事で投票を避ける層が、少なくなく、しかもその層が民主党にとっての勝利へのキーになる層であるからこそ、大きな問題では無いかと思う次第である。