談合やインサイダー取引

公共工事において、入札できる技術レベルを持つ会社が4社しかおらず、その4社が毎年持ち回りで受注することを決めており、価格を吊り上げるとする、これは談合であり、公共工事の場合は免許や許認可、罰金という形で罪を問われることになる。公共工事に限ったことではなく、寡占的な業界、例えば鉄鋼業界でも日本製鉄とJFEスチールが価格について歩調を合わせて値上げをするようなことがあり、トップが秘密裏に合意していた、なんてことが明るみになると、これは法律違反として検挙されることになる。

株式市場において、自社が来月に新製品を発表することを知っており、それが画期的なものであり株価の上昇が予想される、その段階でその会社で働く役員が自社の株式を大量に購入することはインサイダー取引に当たるとされ、これも法律違反であり、これだけ明確なケースが見つかれば、恐らく一瞬で逮捕されることになるだろう。

しかしながら、世の中には恥ずかしげもなく大手を振って談合をしている組織もある。例えばOPECという産油国による会議であるが、減産、増産を歩調を合わせて行い、価格のコントロールをしている。もちろん毎回思惑通りに行くわけでもなく、あとは流通価格を議論しているわけではないのだが、明らかに供給量を共同で調整して価格統制を図っている。談合と呼ばずして何と呼ぼうか。

世界を変えた14の密約

また、ビットコインのような暗号通貨はどうであろうか。これもインサイダー取引とは呼べないものであるが、一部の人間の発言で激しく上下動する状況になっている。イーロンマスクが冗談で言ったことでドギーコインだか、ドッジーコインだかは10%近く乱高下したという。暗号通貨の市場が急激に広がっている割に、国をまたいだ国際的なものであるから故、規制は進んでおらず、何でもありの状態になっている。明日ゼロになってもおかしくない通貨もあると思われるが、そんなことはあまり気にされていない。

新聞記事のようなありきたりな考察が続いたわけであるが、OEPCは70年代、80年代から力を発揮しているとはいえ、この暗号資産の動きを見ていると、世の中が投機的になっていることを実感する次第。何が言いたいかというと、皆が皆、余ったお金でギャンブルをしている、そういう経済の状態になりつつある。もちろん、ポーカーやルーレットと違い、どちらかが勝ち、どちらかが負ける、そういったゲームではなく、例えばここ50年の米国の株式市場のように拡大が継続すれば、全員が勝者にもなりうる、というのが例えば株式投資の前提ではある。しかし、この株式投資という観点と、ギャンブル的投機的投資、これの線引きがあいまいになっている。

ギャンブル投資はギャンブル投資であり、こちらには勝ち負けが存在する。インフレ率から異常に乖離している資産は、これはバブル的であり、このことは意識されないといけない。投資の勧めが国家から出ている状況ではあるが、資産についてはこの点の個人での判断が重要になってくる。二階建て構造の二階部分のバブル的な部分は、短期的にみると一本調子での上昇に見えるが、これは中期では絶対に調整が来る。個人投資家の弱い点はこの点であり、中長期のトレンドと、歴史に照らし合わせて考えることが、プロと比べて弱い。だからこそマスでトレンドを作ってしまう個人のブームはバブルを生み出すし、歴史を繰り返すのである。みんながプロ投資家のような知識、経験があると錯覚するのであるが、市場参加者には現在圧倒的に素人が流入してきているのである。

マンハッタン計画

現在ジョン・フォン・ノイマンの伝記的書籍を読んでおり、彼が如何に天才であったかという点を興味深く感じている。ゲーム理論等、彼が物理学、数学等の分野で成し遂げた業績はいくつかあるが、有名なところではマンハッタン計画で原子爆弾を開発することに尽力したという事だろう。ウランが原子崩壊というか分裂する際に強力な中性子線が出されて、巨大なエネルギーが解放されることが分かり、マンハッタン計画を進めていった。

世界で日本の広島と長崎にだけ原子爆弾は落とされたわけであるが、書籍によると1940年前後まではナチスドイツの方が原子爆弾の開発は先行していた模様である。しかも2年分ほど先行していたということだ。

そこでの予算配分が米国のそれと比べて、ナチスドイツは大胆にはいかず、結局開発は達成されず、原子爆弾を活用することもなかったようだ。しかしながら、歴史のIfにはなってしまうが、先行して開発が完了していた場合は、歴史は大いに変わっていただろう。

ナチスドイツ、ムッソリーニイタリアが戦局を優位に進めた可能性が出てくるのである。1943年までにロンドンやパリに原子爆弾を投下していたら、アメリカは太平洋戦争だけではなく、欧州戦線でのフォローもしなければならなかった可能性があり、日本の歴史も変わっていた可能性がある。例えば、ハワイが日本の領土であったり、フィリピンの一部、韓国、サハリン、千島列島、これらも日本の領土のままで終戦を迎えていたかもしれない。

これらは単なる想像のなかでの遊びでしかないが、こういった事を考えられるくらい、原子爆弾の開発は戦局を左右する事実であり、ナチスドイツを中心とする枢軸側が負けた一つの要因なのかもしれない。

ここで何故ドイツは予算を割かず、米国は当時大規模な予算を割り当てる方向にかじを切ったのかという疑問がわくが、当時の文化というか政治にもなるが、アカデミズムを重視しているかどうか、この差が一つの要因でもあったように感じる。

ドイツは折からのユダヤ人迫害により、学者であっても公職から追放する方向に舵を切っていった。優秀なハンガリー人の学者であるフォンノイマンも然りであるが、アインシュタインなどもアメリカへ移住することになった。米国はアカデミズムの権威が戦時中も保たれており、ナチスドイツは全体主義的に天才なども排除してしまう方向に行ったわけである。

これはアカデミズムという戦争や経済とは縁遠い分野の話のように聞こえるかもしれないが、プリンストン研究所を中心に優秀な学者を世界中から集めて原子爆弾の開発に成功した米国と、国民結束のために国内にユダヤ人という敵対勢力を作り、全体主義的な発想で天才的な個人であっても排除していったナチスドイツ、この差が原子爆弾開発速度の逆転を招いたことは事実なのであろう。第二次大戦の勝敗を分けた要因はいくつもあるだろうが、この点も一つと言えるのではないだろうか。

フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔 (講談社現代新書)

多様な個性、天才の頭脳、こういったものを積極的に生かそうというのは現代のアメリカ社会にも通じるところがある。日本はどうかというと、天才を伸ばすのではなく、劣等生を何とか平均にもっていく教育を重視し、天才や優等生を社会の歪みとすらみなす風潮はありはしないだろうか。天才的な変わった人間を排除してしまう社会は偏屈で視野の狭い社会で望ましくないが、日本社会にはそういった面があるような気がしてならない。特に戦後の人権、平等、意識の過剰な高まりにより、以前にも書いたような過度な平等がポリティカルコレクトネスを持つような雰囲気があり、とがった人材が伸びずらくなってる社会であると感じる。

断食とその効用

インドネシアに5年ほど住んでいたが、インドネシアに住んでいると日に5回、コーランの歌声が聞こえてくる。朝は6時から、夜の6時が最後のもので、そのたびにイスラム教徒の人々は手足、顔を水で洗い、どこにいてもメッカの方角を向いてお祈りをする。例えば、運転手なんかは運転中だったらしないが、目的地に到着後自分のカーペットを引いてお祈りをする。

我々日本人からすると独特な風習であるが、信心深さには感銘を受ける。イスラム教の大きな行事に断食を行う期間があり、インドネシアではラマダンという。朝から何も食べず、夕方の最後の礼拝の後にまず簡単なものを食べて、水を飲む。だいたい24時間弱の断食を行う、というのを1か月間行う。断食期間が終わると、断食明け大祭ということで、皆で祝い、故郷に帰る、こういった習慣になっている。

イスラム教だけではなく、ユダヤ教にも断食の習慣はある。仏教においても修行に断食を織り交ぜる修行もあったり、広く行われている習慣ではある。我々日本人のようなほとんど断食を経験した人間がいない感覚から言うと、ただ苦行であり、苦しむことで悟りに近づくとか、そういった目的で行われているのだろうという印象を持つ人が多数であろう。

食の歴史――人類はこれまで何を食べてきたのか

しかしながら、この年に一定の期間の断食を行うという行為は、むしろ健康にいいであろうことが言われている。日本でも最近はデトックス合宿や、断食合宿が行われるようになってきているが、断食を行うことで不要な老廃物を排出する機能が強まるということは言われている。また、16時間以上断食を行うと体内のマイクロファージという機能が活性化して、腸の活動が活発になったり、免疫系が活性化されるという話も聞くようになった。

宗教行為というのは今よりも歴史時代において、生活習慣に密接な存在であり、より実益的な行為が習慣として残っている面があるのだと思う。その中で、宗教が立ち上がった当時の人たちにとって、断食が健康を呼び込むというのは恐らく常識的なことだったのだと思う。

今のような飽食の時代でもなく、やむなく断食をするケースもあっただろうが、それによって体調がよくなるケースや、精神的に安定が得られたりそういうケースもあったのだろう。筆者も朝食抜き生活を始めて一年になる。夕飯を19時までに食べて、翌日の午前11時までは何も食べないようにしている。これで16時間だ。一年の変化としては体重が徐々に減って、6㎏程度減少した。また、午前中の仕事の集中力というか、効率は高まっていると感じる。

人間はどういう状態で能力を発揮しようとするのかと考えると、空腹状態なのではないか、というのが当方の仮説である。これは狩猟時代を想像するとそうなのであるが、例えば、獲物が十分に得られている状態と、得られていない状態があるとする。その場合、どちらが切実に獲物をとる必要があるかというと、得られていない状態の方であり、この場合、獲物が得られないと死んでしまう。空腹は生命の危機に対する危険信号の発露であり、お腹が鳴ったりするのは警告である。その時にこそ人間はいつも以上の能力を発揮して、獲物を得て、生き続けようとする。反対にお腹がいっぱいの時は眠くなる。これは能力を発揮する必要のない時間だと体が判断するからである。

今は狩猟時代ではないが、この本能的な部分というのは大いに残っていると思う。農耕が始まったのが一万年前前後であるが、たかが一万年である。人間だけでなく動物全般に言えることだと思うが、空腹の方がその能力を発揮できる環境になるのだと思う。昼休みに昼食を食べすぎて、午後に眠くなるのもそういった事であり、この面からもビジネスパーソンにはせめて朝食を抜いて、16時間断食を実践することをお勧めする次第である。