株式市場とモメンタム

アフターコロナに向けて、旅行代理店の株価は底だろうから買おうとか、ホテル業界もこれからは復活していくだろうから、ホテル業界の株価を買おうとか、いまやどこに行ってもそういう会話をしている人が多い。先日は美容室でも隣の人がそういった会話をずっとしていた。

コロナ禍でイベントや旅行にお金を使わなくなり、あまったお金で株式投資を始めた人は多いと言われており、投資信託にまわるお金もどんどん伸びているのは事実である。中長期を見たときに、コロナで傷ついた旅行業界、ホテル業界、飛行機や鉄道のような旅客輸送部門の株式を買う人も多いだろう。レストランなんかも含まれるかもしれない。

ただ、こうやって素人が買おうと思うタイミングでは既に、プロはその回復まで見込んで買っている、織り込み済みという状況が多い。例えば、既に23年からの米国金利の上昇というのは織り込まれていると言っても過言ではなく、FOMCでシナリオと違う発言や決定がなされるとそこからの修正という形で株価が動くわけである。

2023年からの金融の引き締めは織り込まれており、もし23年になっても金融を引き締めないという決定がなされれば、株価が上がる可能性があるといった具合である。

日本国内の旅行需要というものについても航空会社の株価を見ててもそうだが、いち早く21年年末に向けた需要回復については既に織り込み済みではないか、という水準に来ている。

世界を変えた14の密約

ニュースや経済誌に語られる前に、そういった中期予想というのは織り込まれていくのである。日々その事だけを考えているプロフェッショナルは先行して行動するものであり、素人が気づいた時には出遅れている。それでも現在のように緩和に支えられた上昇相場においては素人でも株式で稼ぐことができるのだろうが、プロが稼いでいるほどではない。

例えば、野球、サッカー、ゴルフのような国内で有名なプロスポーツがあるが、これらの一流プロフェッショナルと、素人なんだけど知識は高いという人がいた場合、知識はあっても実戦での能力には雲泥の差があり、月とスッポンである。この格差というのは越えがたい大きな壁である。野球やサッカーはイメージしやすいのであるが、これはどんな分野にも言えることだと思う。例えば画家とか音楽家もそうだ。職人と呼ばれる、例えば伝統工芸の職人にしたってそうであろう。

そういうプロが株式市場にも多数いる。これを生業としている人たちである。その人たちは世の中の情勢へのアンテナが高いだけではなく、先行投資的に費用をかけて、素人が得られない情報を集めて、株式運用をしているわけである。その人たちに巻き込まれて素人運用をしていくには、傘下に入るか、同じくらいの力や知識を得る必要がある。何の世界でも素人が浅はかな知識で参入できるほど甘くはなく、もっと言えば、競馬やパチンコの世界と同じで、プロの覚悟を超えられない世界なのであろう。

物理的な距離

コロナウイルスの感染拡大から既に1年半近く経っているわけであるが、日々の仕事については出張はなく、ZOOMやTeamsを活用した会議というのが板についてきたというか、他に選択肢がないからでもあるが、連日ZOOMやTeams会議が盛りだくさんである。

世界各国と遠隔会議を行い、非常に手軽にコミュニケーションが取れるようにはなっている。朝は米国のクライアントと話を行い、日中はオーストラリアやアジアの国々との会話、午後の遅い時間からインドや中東が入ってきて、夜にかけて欧州、ロシアとの遠隔会議を行う。

仕事の面だけでいうと世界は狭くなった。遠隔会議ツールの発達によって、思い立ったら世界のどこにいる人とも基本的にはコミュニケーションをとれるようになった。非常に便利な世の中であり、不必要に13時間のフライトに乗る必要がなくなったのは、筆者にとっては大きな進歩である。

ただ、本当に世界は狭くなったのであろうか。大航海時代が世界の距離をまずは縮めて、その後の海運の発展があった。江戸時代、明治時代と日本からも欧州に人が渡航するようになり、明治維新につながる一連の流れも、海運の発展があり、世界が狭くなったことによる影響であろう。

海の歴史

また、その後二度の大戦を経て航空機業界は目覚ましい発展を遂げた。ライト兄弟の初飛行からそれほど時を待たずして、アメリアイヤハートの挑戦、戦闘機の開発があり、旅客機の普及が始まるわけである。その後、世界は航空機網で結ばれることになった。ここでさらに世界は狭くなったわけである。

そして現代の遠隔会議、遠隔のコミュニケーションによる距離感の縮小を迎えているわけであるが、本当に海運の発展と、旅客機の発展と同列なのであろうか。もちろん、正確に言うと同列ではない。物理的な接点を得るための距離は変わっていないからである。言い方を変えると、ZOOMを使っても相手と会えるわけではなく、物理的には遠いままである。この点は違うと言える。そういう意味では触覚と嗅覚、味覚については縮まってはおらず、視覚、聴覚、という点でだけ距離が縮まっているという言い方ができるだろうか。

ここに論点整理のポイントがあり、ビジネスは視覚、聴覚情報、要は声と顔色さえ見えていれば、ほぼほぼ問題ないのであるが、それ以外の部分については触覚、嗅覚、味覚というのが重要であり、特に観光業において重要な点はその三つになるだろう。むしろ、声は優先順位が低い。

ビジネスの世界の距離は縮まった。これはコロナが変えた良い面であろう。コロナ前よりも環境が良くなっているのである。そういう面から言うと今後ビジネスの意思決定、国を超えた協力関係、これらの速度は加速していくだろう。

一方、現在実際に観光業が苦境に立っているように、触覚、嗅覚、味覚が重要なファクターであるそれらの業界は苦しい状況が続く。これを打破するのは勿論物理的な往来の再開ではあるが、一方で、ZOOMによるVirtual観光ツアーではないのだと思う。それでは触覚、嗅覚、味覚を刺激しづらいからである。そういう意味では、例えば、タイ料理屋に行くとタイの味覚を味わえるが、それの発展形のような形で、例えば福島のハワイアンズみたいなものの各国版ができていくのかもしれない。できていくのかもしれないというか、そこに商機が生まれるのか、と思いを馳せるわけである。

管理職と子育て

女性の社会進出が特にこの10年間で進み、人々のライフスタイルについても多様性を認めようという社会的風潮がある。もちろん、それは良いことであり、筆者としても支持したい傾向ではある。多様なライフスタイルをとる人がいることで、長期的には例えば日本とか、地域とかで見たときのそのコミュニティーの柔軟性が増す結果になるし、環境変化に耐えやすくなる効果があるだろう。これは会社という組織にも言えることで、多様な人材を求めるというダイバーシティーの考え方はそこからきている。

ダイバーシティーを進めるというのは、多様な価値観を持つ人を会社の中に抱えることで、会社の柔軟性や革新性を高めようという試みである。これは人材面で性の多様性、人種の多様性、宗教の多様性、国籍の多様性という意味合いが強いが、ライフスタイルの多様性というのも一つの要素になってくるだろう。

一方で昔の人の格言もある。例えば、韓国であるコンサルタントと会食をしたときに、そのコンサルタントが「韓国では、結婚して係長、子供ができて課長、子供が中学に入って部長、子供が大学に入ったら役員、子供が就職できれば社長になれる」というような感じの格言があるということを話していた。

見ようによっては、早く子供を作って、子供をエスカレーターに乗せて、独立をさせるというメジャーではあるが一つの考え方を皆に押し付けるような考え方にも見える。ただ、これにはある意味での真理も含まれているのではとも思う次第である。この言葉をどこかで矛盾とか後進的だと感じてしまうところが、現在のダイバーシティー議論の正解からのずれを表しているのかもしれない。多様な考えは必要だが、普遍的なものもあるということだ。

世界を変えた14の密約

子育てをしているとこの言葉の意味するところが分かるような気がする。まず子供に対して、曲がりなりにも親は規範になろうとする。この時点で子供がいなかった時点と比べると意識が変わる。もちろん完璧な人間になるわけではないが、この意識の変化が人を変えるもので、規範意識が高まる。子供が大きくなってくると、子供の持つコミュニティーと親が持つコミュニティーの重なりの部分が徐々に減ってくる。話題や価値観が徐々にずれていくのである。もちろん共通の話題もあるが、日常的に顔を合わせる相手との価値観が徐々にずれていくことによって、ぶつかることが多くなってくる。これは思春期と呼ばれる時期の反抗期にも重なってくるのかもしれないが、そういう子供に対して根気強く、また相手との価値観の違いを認識しながら話をしていく必要に気づかされるわけである。

子供が高校、大学になってくると今度は金銭的な規範意識やマネージメントが重要になってくる。しかも、規範意識を高めて、価値観のずれとも戦いながらということになる。さらには、子供のキャリアというか将来についてともにビジョンを描くという中長期的な展望を持つことも重要になってくる。目先の学費だけではなく、将来にわたって幸福を得るために何が正しいチョイスなのかを、社会情勢や今後のトレンドを予測して決定を下していくわけである。

これはすべて子育ての話を書いているわけであるが、かなりの部分で管理職の仕事に通じてくる。管理職には規範意識が重要であり、内外問わず価値観がずれている相手との折衝が必要になる。さらに上級の管理職になってくると中長期のビジョンや、社会情勢や今後のトレンドに対する読みも重要になってくる。もちろん、係長にも長期のビジョンは必要であるが、相対的にこういう傾向があるのが所謂企業の管理職ではないだろうか。

バブル世代と言われる世代から子育てをしない人々が増えたのでないかというのは周りを見てて感じるところである。それこそ人権意識の高まり、家族より個人の価値観を優先する傾向、それらが始まった時代と重なり、リベラルな思想がそういう方向を選んだのだろう。また、子供を望んでも持てない人々がいることも事実であり、全ての人が子育てができるわけではないということも認識しなければならないのも認識している。ただ、子育てをしない人が少し増えたことが組織の健全性をもしかしたら弱めているのかもしれない。

そんな中、女性が管理職で活躍し始めたのは偶然ではないだろう。女性は今も今までも子育ての大部分を担っており、管理職的スキルがもともと高いのかもしれない。

もちろん、子育てをして管理職になるというのがすべてではないし、逆に規範意識を高めて、価値観のずれに対応するような八方美人的になると、起業家というのは生まれずらいのかもしれない。スティーブジョブスのような自分の信念を貫くタイプは企業で管理職としてやっていくのには向いていないかもしれないが、Appleのような企業を創業するのには向いている。どちらを目指すのかは個人の選択であるが、そういう反対の側面を持つことは注意が必要ではある。

しかしながら、管理職の業務と子育ては似ており、どちらが先かは人によるだろうが、子育ては管理職の、管理職は子育ての、良い練習となっているのだろうと思う次第。後輩を見てみても、子育てをすると人は変わっていく。責任感や規範意識が高まっていく。ちょっと古臭い考え方のようだが、昔からの格言に審理が埋まっていることも、これまた事実だろう。