2020年11月2日の日記より
勤労感謝の日
11月には文化の日と勤労感謝の日の祝日がある。アメリカ人と話していると日本の祝日の多さに時には呆れられ、海の日と山の日は特に、驚きを持って受け止められる。それがありなら何でもありだろ、という訳であり、おっしゃるとおりである。
さて、勤労感謝の日であるが、そのままの字面だと何の日か分からないが、アメリカのThanksgivingと一緒で、一年間しっかり仕事をしてきて、その収穫を得られることに感謝しましょう、という意味と、感謝の喜びを分かち合いましょう、というような意味になるでしょうか。北半球で言う所の秋の終わりに、このような祝日がある事は宗教を超えた人間生活の根幹の共通性であるように感じて、うれしいところがある。原始的な宗教を信仰していた時代から秋が収穫時期であり、厳しい冬を迎えるというサイクルは変わっていないはずで、秋の喜び、冬に備える、そういう時期なのである。これから寒くて暗い冬になるわけであるが、保存食を作ったり、燃料を集めたり大変な時期ではある。
その次に冬至が来る。これは原始的な宗教、特に太陽崇拝をしていた宗教においては非常に象徴的な日であり、太陽の力というか日照時間が一番短くなる時であり、太陽を神と見立てていた原始的な太陽崇拝の宗教では、神の力が一番小さくなる日と言える。
しかしながら、別の見方をすると、一番小さくなるが、この日以降はめきめきと力を増やしていく日という捉え方も出来、新たな神の誕生する日である、そういった考え方に昇華していったとも考えられ、当時は誕生、成長のゼロ番地的な象徴になって行った。それをうまく活用したのがカトリック教会であり、クリスマスである。イエスキリストの誕生日と言われるが、実際の誕生日は冬至の時期では無いというのが定説であり、なぜ12月25日にしたかというと、これが冬至直後の日である、という古来の太陽信仰から来ている。神が誕生した日にふさわしいわけであり、その日から太陽の力がぐんぐん伸びていくのである。
春夏秋冬という季節の捉え方ではなく、太陽の成長期と衰退期という考え方を取ると、冬至が誕生、春頃が青年期、夏ごろに壮年期を迎え、秋が老年期になるという形であり、キリストの生誕と冬至というのは合致してくるのである。これが何故上手く活用されたと言えるかというと、恐らくキリスト教やユダヤ教という宗教の以前に会った古来の原始的な宗教でも冬至を祝う習慣があったはずである。それは特にエジプト周辺の太陽信仰の跡を見れば、恐らくそうである。その習慣を活かしながら、新たな宗教を説くというのは、布教活動において常套手段のようであり、それも一つのキリスト教が広がって行った理由になるのだろう。
暦というのはそれほど意味を持っており、特に収穫や、太陽活動に関する祝日というか特定の日は冬至のように意味があるものがあり、古来からの重要な役割を追っている事が多いように感じる。天皇誕生日やマーティンルーサーキングデー、これらのような祝日もその国の歴史、アイデンティティという観点から重要であるともいえるが、山の日や海の日にアメリカ人が笑ってしまうのは、その理由の浅さから言っても、仕方のない事ではないだろうか。