2020年12月15日の日記より
ESG投資ブーム
世の中が変わりつつあるというのは、こういう時のことを言うのだろうか。近年というか2020年になってからESG投資ブームというか、すでに一部の意識高い系の話ではなく、通常企業に対するプレッシャーにすらなりつつある。環境対応をしていない企業には、資金提供を止めるとか、縮小するとか、そういった流れだ。ESG投資だけに使う社債などの債権も出て来て、そちらは人気になるらしい。大手の鉱山資源会社が石炭の事業を売却するとか、日本でも大手のメーカーが将来的な火力発電所からの撤退を表明したり、日本製鉄は将来的なカーボンニュートラルを目標として設定した。
ただのブームと言えないのは、実際に資産運用している資金の出し手が、ポジティブな会社に投資するというようなVC的な発想ではなく、ネガティブな伝統的産業に対しても影響力を行使しようとしている点であろう。これについて、現在のところ、政府も人々も、誰も文句を言う手立てがない。ポリティカルコレクトネスに近いかもしれないが、有無を言わさずに正しい事として捉えられている。もちろん地球環境を保護すると言う事に対して文句がある人はいないだろう。持続可能な社会を作る事もそれだけで言ったら、間違っていると反論する人はいないし、反論の理屈は無い。しかしながらそのコストをどうするのか、これがコロナでマヒしている。
今回のコロナ感染症の与えた影響が二つあると思われ、一つはこのパンデミックという事態を目の前にして、人生や自分の考え方を見つめなおす機会を持つ事が、多くの人であったと思われる。自己啓発系、運動で体系改善、そういった需要が大きく増加していると聞いているが、パンデミックの前にお金も仕事も何もかもが無力であり、日々を楽しく、一日一日を充実させよう、というような発想が広がったのかもしれない。そういった自己啓発系の延長に、地球環境保護が心の安定につながるだろうから、と言う事でその辺の意識の高まりに影響を与えた気がする。これはこれでいい事だが、日常に戻った時に、なんか熱にうなされていたんだろうな、と冷めてしまうのが若干懸念される。ただ、さほどではない。
もう一つの影響が、企業業績も国家財政も、緊急事態だから気にしなくていい、というような発想が蔓延しつつあるのではないだろうか。日本国政府の国債発行額も記録的な領域になっているし、時短営業やGo toトラベル事業の中止に伴う補償も、補償がありきになってきている。20年の春先は財源論があったと記憶しているが、とにかく借金したもの勝ちで、日米欧それぞれで積極的な財政出動を競うようにすらなっている。企業の方も今年、さらには来年についてはもう業績なんか関係ない、そういう感じなのかもしれない。前述の日本製鉄なんかは本気で水素製鉄を行う事になったら、恐らくコスト的にペイしない。ただでさえ国際的な競争力に欠ける会社が、さらに積極的にコスト増加の道に行くことが、企業の存続にすら影響を与えてしまうのでないだろうか。社長がコミットしたことは一部で評価を受けている様ではあるが、大多数は実現可能性に疑問を持っている。ブームに乗るのもいいのだが、コスト的な分析、生き残るための施策は打っているのだろうか。ESGとかSDGとかいう言葉が今の流行ではあるが、これによって地球温暖化についてはOne of themでしかなくなってきている印象もある。特にSDGsについては確かに重要だと思われる17の事柄があげられており改善を目指すと言っているが、それぞれの事柄の問題点の検証は大きく行われているのだろうか。地球温暖化すらデータのとり方に信頼性があるのかという議論があり、人工的な二酸化炭素排出は温暖化にさほど影響していないという分析もある。
科学的な議論なしに、言葉が独り歩きして、それが世の中の常識にすり替わって行ってしまう、これは危険であるし、誰かの思惑が多分に影響している可能性がある。アメリカのビジネスの歴史をみると、朝食を取り始めたのはエジソンの思惑だったし、クレジットカードの促進により自己破産する人が増える事は事前に明確であったのだが普及に取り組んだり、健康的によくないものであることは分かりながらマッチポンプ的に健康食品を売り込んだり、お金の為なら道徳は二の次と考えるのが、言い方が悪いがプロテスタント的な発想だと思う。だからこそプロテスタント系は経済的に成功したという考え方もあるが、道徳心が強い我々にはついていけない発想を持つ事がある人たちなので、注意が必要だろう。