天皇家と日本社会

昨日子供向けの伝記漫画を見ていたが、織田信長の妹のお市の方、その娘の淀殿は秀吉の子供を産んで秀頼となる。そこからちょっと複雑なので正確には覚えていないが、いづれにせよ、信長の血と、秀吉の血を受け継いでいる血筋がおり、さらに徳川家に嫁いで、その娘を天皇家に嫁がせたという複雑な血統がある。

古くは平安時代には藤原氏の摂関政治もそうであったように、そこでも天皇家に藤原氏の女性が嫁ぎ、天皇家の血筋に藤原の血が深く混ざるということが起きたことは歴史的事実であろう。

そうやって遡ってみると、織田家の末裔も、藤原家の末裔も、豊臣家の末裔も、天皇家の末裔も広く見れば、遠い親戚ということになる。これは面白いもので、その考え方で行くと、日本全国みんなが遠い親戚ということになりそうだが、実際に数学的に計算すると1000年ちょっとさかのぼれば、どこかで現在のすべての人間が混ざり合うようになるという計算結果であるようで、少なくとも遠い親戚である。もっと言えば、20万年を遡れば、ホモサピエンスの一団に行き着くわけであり、人類みんな遠い親戚ではある。

新版 日本人になった祖先たち―DNAが解明する多元的構造 (NHKブックス No.1255)

そんな天皇家であるが、神武天皇から脈々と男系にて同じ血筋で血統が受け継がれていると言われている。色々な時代を経ながらも、大きく言えばヤマトの時代から日本を朝廷という形で統治しており、12世紀から19世紀は軍事政権が中心であったとはいえ、朝廷という存在が継続しており、ものすごい期間の統治をしてきた存在である。

勿論、文化的な面でも伝統を保全したり、祭りをつかさどったり、いまやこちらの面が重要視されるくらいであり、貴重な存在である。我々日本人にはむしろ当たり前の存在になっており、太陽のようにそこにあることが当然の存在ではあるが、世界的に一つの系統が統治を継続しているという状態は非常にレアである。もちろん統治とは今の形態では言えないが、国家の象徴としての皇室という存在は、経済合理性などは越えたところにあるような感じがある。

それはひとえに文化統合の存在であるからだと思う。皇室が重要視している祭事や、伝統というものが日本人のアイデンティティの確立に寄与している面があり、お祭りの文化であったり、初詣、結婚式、これら節目節目で我々は伝統を目にすることがあり、それを突き詰めて考えてみると、皇室の存在と、その貴重な歴史に目が行くのである。

海の歴史

歴史が深いというのはそれだけで、見るものを引き付けるところがある。例えば、甲子園や箱根駅伝は競技の一流なレベルではなく、むしろ100年近く継続している歴史に圧倒される部分がある。プロ野球や実業団駅伝よりもレベルが劣るのにである。同じようなことは祭事や、神社それ自身にも言えることで、歴史の長さそれだけで、重厚さが出てくるものである。それは裏を返せば、継続することの難しさを孕んでおり、いくつもの荒波を乗り越えて継続されていることに畏怖の念が生まれるのである。そういう意味で日本の歴史上、もっとも継続されているであろうことは、皇室の神技であり、天皇という存在そのものであり、歴史の長さだけでも、畏怖されうる存在となっている。今後、1000年、2000年と継続するのかはわからないが、継続する、ということ自体の難しさに敬意を示したくなるのである。