科学の進歩と地球温暖化理論

科学の進歩と地球温暖化理論

あまりに地球温暖化議論に対して懐疑的な見方をするだけではいけないとは思っているが、正直、議論するには歴史が浅く、材料が少なく、体系的な理論の形成にまで至っていないのではないか、というのが印象だ。

古くはガリレオの地動説、ダーウィンの進化論、ハッブルの宇宙膨張説(ハッブルはエビデンスを見つけただけだが)、のように以前までの常識とは違う説というのは正確な観察の上に成り立っている。ガリレオは天体の観察によって地動説でしか説明がつかない現象を発見して、ダーウィンも世界中を旅して動物の観察を行った事で進化論に至っている。ハッブルも非常に貴重な日食の機会を活かして最新鋭の機材によって天体の重力によって光が屈折する事を証明した。翻って見て地球温暖化説にはそこまでの観察による証拠は上げられているのだろうか。

よく言われる話であるが、地球温暖化説はいまのところ科学と呼べるような状況になっているとは思えない。産業革命以降の温度の上昇がそれまでの上昇速度と違うという事だが、ただ傾きを取った直線を入れただけであり、1900年ごろの気温低下と、もっと大きいのは先進国で大いに工業化が進展した1940年から1980年頃までの気温上昇の落ち着きである。二酸化炭素排出量との関連で言うなら、この時期をどう説明するのか。その影響が今出ているというなら、産業革命以降で気温の議論をしているのは何なのか。遅れてくる影響は現在だけでなく、産業革命開始した頃にも適応されるのではないか。もっと言えば、産業革命開始頃の温度上昇は、産業革命以前の影響が出てきてしまっているのではないか。

グラフを読み取るときに重要なのは、傾向と特異点である。傾向を見るときは時間軸が重要なファクターであり、何故その時間軸を取って傾向を議論する必要があるのか、その妥当性が重要である。その観点から言うと、これは地球の歴史を見れば明らかだが気温の上下の傾向を見るのに100年やそこらというのは、年間平均降水量が2000-3000㎜の太平洋岸に2日間の合計で1500㎜の雨が降り、その二日だけを捉えて、近年は降雨量が大幅に増加したと言っているようなものである。それは事実なのかもしれないが、特定の二日だけを見ても分かるわけがなく、大方の人間は、それではここ10年の年間降水量の推移を教えて下さい、となるだろう。10年と取るかは人それぞれかもしれないが。繰り返しになるが温暖化が嘘だとか、温暖化がしていないと言いたいわけではなく、科学的な議論がなされていないことに恐怖を感じているのである。まさにこれは政治的な、経済的な議論から発していることの証明であり、米国のゴア元副大統領は完全に政治的なパフォーマンスとして利用した。彼のプレゼンテーションが政治的であり、科学的ではなかったのだが、ここから議論の多くはスタートしてしまっている。

勿論、ここ数年、数十年のスパンで気温は上昇しているのは間違いない。ただ、これは二酸化炭素の排出量が原因であると、その合理的な説明は誰かがしてくれたのだろうか。科学的に地球気温に影響を与える要因は色々あると言われるが、一番大きな影響を与えるのは太陽だろう。水星、金星が暑く、木星、土星が寒いのは太陽光が注ぐ量が大きく違うからである。もちろん惑星の大気組成も大きな気温の違いを生み出す。大気の95%が二酸化炭素で、気圧も異常に高い金星は気温も数百度の世界と言われている。このことから二酸化炭素が温室効果を持つ事は間違いないのだが、科学と政治の違いは、その程度を数値化するのが科学であり、ゼロかイチ、もしくはYesかNoで単純化してしまうのが政治である。地球の気温は上がっているにたいしてはYes、二酸化炭素排出量は増えているに対してもYes、二酸化炭素による温室効果についてもYes、と言う事が言えるのだが、この事実だけで三段論法的に、産業革命以降の二酸化炭素排出量の増加で地球は温暖化している、こんな科学者は終わっていると言いたい次第だ。

太陽の影響の話に戻るが、太陽自体の活動の強弱もあり、黒点の数が太陽周期を示しているというが、これもガリレオが多くの観察を行った。また、太陽風の影響もあるし、太陽と地球の距離の変動というのも影響する。また、地球の地軸の変動もあるし、地球自体の活動の強弱、例えば火山活動などにも影響されている、というような変動要因もある。これらが複雑に絡み合っての地球の気候への影響というのが出てくるわけであり、これを体系的に理論として導くのは非常に難しい世界となるだろう。

ではどうすれば良いのか、という事だが、筆者が思っている事は、気候変動を人為的に解決しようとか、解決できるという幻想は捨てたほうが良いという事である。地球のメカニズムというのは45億年間培われたものの上に立っており、20万年の歴史のホモサピエンスが人為的に何かできる範囲というのはごくごく限られている。科学の進歩、技術の進歩により、温暖化を止められる、というような幻想が恐らくは新たな悲劇を生むのではないだろうか。これは空想に近くなってしまうが、人類を滅ぼすのは人類だろうとはよく言われる話でシンギュラリティの時代を迎えるとAIが人類を滅ぼし始める、とかいうSFの話もあるが、自分たちのコントロールできる以上の物事をコントロールしようとすると、どこかに弊害、歪が発生する。温暖化を止めようとすると、寒冷化が始まるだろう。これはよくあるSF映画とかでも見られるシナリオであるし、人間世界でもできないことを無理してやると歪が生まれる。温暖化しているのであれば、温暖化した地球と共生する、寒冷化したら寒冷化した地球と共生する、そうやって人類は生き延びてきたわけで、環境適応能力を高めるためには、環境適応能力を磨いていくしかないのである。1000,10000年、100000年と人類の繁栄を望むのであれば、地球環境は我々のベースであり乗り越えるものではなく、共生すべきものであり、こんな雄大なものをコントロールしているとか、この地球環境が変わったのは人類のせいだとか、そういうおごりを捨てて、地球に住まわせてもらっている、共生が必要なんだ、そういう心持ちが必要なのではないだろうか。