軍事政権
日本の歴史を振り返ってみると、1200年ごろから1850年頃までの650年間が軍事政権だったと、言えるかと思う。途中は色々あって、貴族、皇族が仕切った時代もあるし、一概には言えない部分もあるが、大枠で言うとそうだ。
江戸時代には士農工商という身分制度がとられて、民衆が政治に参加するという発想すらなかったであろう。ただただ、強いものが権力を握り、豊かになる、そういった時代であった。労働力=権力であり、コメの生産=豊かさであったので、石高で大名の大小、優劣が決まっていたのである。これは平安時代の藤原氏においても同じことが言え、全ては力の強いものが支配するという世の中であった、過去に遡れば遡るほどそうであろう。
それが産業革命という歴史的な出来事で変わったのだろうか。工業社会は内燃機関を活用してどんどん機械化が進んでいったと言われる。そこで得られたエキストラの利益を活用して、植民地を広げていったのが大英帝国であった。まさに資本主義を象徴しているのだが、労働資本を持った人間が有利な時代から、金融資本を持った人間が有利な時代に大転換がなされたのである。
そこからは金融資本を活用して、金持ちがさらに金持ちになるという世界が広がって行った。政治の世界では従来の権力者が、比較的短期間で権力を失うケースが出るようになり、旧来の権力者が権力を失っていった。民間の起業家が意見を強めていったのである。そういった中で民主主義という考え方が出てきたのであろう。貴族や王族に頼らない、税金をより広い分野に活用していくという精神である。もちろんフランス革命はもう少し以前に起きており、王政の打破のエネルギーになったのだが、世界特に先進国に民主主義的な考え方が広がって行ったのは、産業革命が大きな影響があったと思われる。
その後、科学技術は大いに発展を見せて、非常に便利な世の中になり、もはや労働力を持っている事は優位性ではなく、資本家の天下になっている。資本家への権力定着が進んできているので、こんどはそういった富裕層への風当たりが強くなっていると感じる。
財政政策の高度化によって、民衆の職や食料は保たれているが、大きな飢饉や災害などにより、国民生活に打撃が出ると、権力が定着している層への不満が暴発するのだろう。今は、18世紀の王族は資本主義の成功者たちに置き換わっており、その権力の発端は資本主義と民主主義政治にあった事を国民は思い出すはずである。そうなると、意外と一夜にして政治体制の返還が見られるのかもしれない。
長谷川氏の「民主主義とは何なのか」という著書によると、独裁政治体制→元老院的な政治体制→民衆代表による議会制→民衆直接選挙による政治体制→独裁政治体制、という循環があるという話だった。古代ギリシャでも民主主義という政治体制は行われていたが、学のない人も、犯罪者も、誰でも同じ一票を持つ事、裏工作でどうにでもなる事、そういう意味もあり民主主義というのは怪しい政治体制だった。
それを一人のスーパーエリートで、徳の高い人が効率的に変えるのが独裁性であり、恐らく導入時には独裁制は非常に画期的で効率的な政治体制と称賛されるだろう。ただ、権力の固着が早いので、早々に堕落した政治体制になりやすい。ヒトラーなんかがイメージしやすいが、第一次大戦でボロボロになったドイツ国民は、ヒトラーを圧倒的に支持した。80%とも90%とも支持率は言われる。これは既得権益、ヒトラーの場合はユダヤ人だったが、を打破して、多数派の国民に還元するというものであり、結局誰かを悪者にして、そのエネルギーで全体主義を作っていくというものである。悪者を作りたがっている風潮は、現代のマスコミの報道にも大きく感じるところで、この悪者が確固たる対象となる場合には、全体主義的な政治が出てくる予兆なのかもしれない。