ESGに関して

木材を使ったビルに投資するとESG投資で、鋼材を使ったビルに投資するとそうではない。イメージ的にもそうであるし、実際本日の新聞にもそういう投資があると記載があった。もちろん、紙面には記載しきれない要件とかがあり、原材料だけの問題ではないのだろうが、イメージで語られることの危険というのはある。

これは地球温暖化の議論でもそうであるが、エコバッグを使うとプラスチックバッグを使わないのでESGだ。これは本当なのであろうか。疑ってみる必要は本当にないのだろうか。

木材と鋼材でいうと、森林伐採の影響というのは昨今言われなくなっている気がする。20世紀のころはアマゾンの森林が急速なペースで失われており、二酸化炭素の吸収量が減っている、そういった論調が目立っていた。毎年日本の国土に相当する分とかが焼失されていたような曖昧な記憶があるが、現在はどうなってしまったのであろうか。

世界を変えた14の密約

例えば、鉄鋼の鋼材については、鉄鉱石と石炭から作る鋼材が日本や中国では多いが、米国ではスクラップるから製造する鉄鋼の量の方が多いと言われている。その場合、どちらが環境にいいのだろうか。従来の論調であったら、木材を伐採することは二酸化炭素の排出ではなく、吸収量の低下を招くという議論があったように思うが、これはもう取るに足らない議論となってしまったのだろうか。

勿論、鋼材はスクラップを溶かすときに大量の電力を使うので、現在のEVの議論と同じで火力発電を使う限りにおいては、環境にやさしくはないのではあるが、木材と比べてどうなのか、これは議論が必要である。

ストローやプラスチックカップについては、海洋汚染が言われているので、材料としての環境負荷について議論はあまりされていないが、材料としての環境負荷だけで見た場合にどうなるのかは興味がある。ここでも問題は複雑に絡んでおり、カメの鼻にストローが刺さっている映像でイメージ戦略化されている可能性はある。ツバルの海面上昇が実は井戸水の堀りすぎによる地盤沈下だったのは有名な話であり、氷山が解け落ちる映像は多くは北極海に浮かんでいる氷山だったのも有名な話だ。

イメージ戦略がどうもついて回る節があるESG議論というのは、ESG問題自体は非常に重要な問題ではあるのだけど、一つ一つの話については疑ってみる必要がある。基本的には理研の対立のケースが多く、ESG、ESGとは言っても、何らかの商業的な利得と結びついているケースは少なくないと思う。