日経新聞によると2011年の東日本大震災以降、復興のために10年間で約38兆円が税金から使われ、10年間でインフラ整備、防災設備の整備、これらがかなり進んだということだ。もちろん、あの甚大な被害を見ると、この投資は必要なことであり、38兆円が費やされたことに対しても異論はないし、毎年復興税を支払っていることも止むを得ないことではあると認識している。
ファンタジーランド 【合本版】―狂気と幻想のアメリカ500年史
38兆円というと計算を簡単にするためににほんのじんこうを1億人と考えると、一人当たり38万円ということになる。4人家族だと152万円ということになり、年間15万円、月にすると1万2千円強の負担になる。これを多いととるか少ないととるかは個人の考え方次第ではあるが、日本という地震を含む自然災害が多い国土に住む以上、どこで起こるかわからないという意味では、皆で平等に負担するのが最適ではある。
翻ってコロナ対策費用である。米国では200兆円の新たな予算に議会の承認が得られたということで一人当たり$1400の支給がなされるようだ。アメリカの人口を4億人とすると$5600億ドルであり約60兆円はすぐに国民に還元されるという計算になる。$1400の相対的な価値は貧困層の方に大きく、機動的な対応で困っている人に助けが行くという観点から、この政策は妥当だと思う。
しかしながら、残りの140兆円はインフラ整備や環境関連投資、いわゆるグリーンニューディールに向かっていくことになり、ある程度一定の産業や企業に恩恵が行くことになる。これは自由主義を国是とするアメリカにとって恐るべき変化と言えるだろう。民間の活力を失わせるリスクと、アメリカの最大の強みで合った企業の新陳代謝を鈍らせることにも繋がる。
これはイノベーションと国家管理という関係性で考えると見えてくるが、経済の成長期においては官僚主導で方向性を決めて、ある意味国家が管理して成長を則す、これは日本の高度経済成長でもそうだったし、中国の成長期も、東南アジア諸国の成長期でも見られたことである。一方で資本主義が成熟している特に米国では国家の経済、民間セクターへの関与は最小限にしてきたのが歴史だととらえているし、それがアメリカ人のある意味誇りであり、だからこそイノベーションが次々と生まれる社会が生み出されたのだと思う。西部開拓時代のイノベーティブな発想は、国家の管理ではなくゴールドラッシュを求めた人々の夢が生み出していたのである。
だからこそ、ゴールドラッシュ以来の文化の大転換とまではいわないし、もちろん大恐慌の後のニューディール政策のような局面もあったわけで、アメリカが国家関与の経済を持った経験がないわけではないが、この予算規模は非常に大きい。国家の関与というのは一見公平なようで、小さなひずみが大きな不公平感の実感につながる危険がある。国家が関与していないときは小さなひずみはある意味仕方がないととらえられるが、国家が関与してもひずみが残る場合国民の不満につながる。その不満が限度を超えた社会が共産主義だったはずであり、アメリカが一番嫌っていた政治体制である。平等を煽れば煽るほど、国家権力は綱渡りでの経済への関与をせざるを得ず、失業率が下がりきっていないアメリカ社会では、今後の火種は燻ぶったままとなるだろう。