国防費に関する議論
日本の国防費はGDP比で1%程度と先進諸国というか、色々な国と比較しても突出して低いと言われている。韓国は2.5%を3%に引き上げるらしいし、NATOという軍事同盟を結んでいる西欧諸国でもNATOの基準値は2%となっている。これはひとえにアメリカの核の傘、駐日アメリカ軍による抑止力、これら日米同盟、日米安全保障条約のたまものである。
尖閣諸島、竹島、北方四島、これらの領土を守るために自衛隊や海上保安庁は日々奮闘しているが、諸外国と比べて国防費が潤沢とは言えなくなってきている。もちろん日本のGDPの成長が止まっているから、諸外国の国防費に比べて相対的に費用が下がってきているからである。そういった状況の中、日本という国家を防衛というか文字通り守り、我々の子孫に安全で誇れる国を残そうとした場合、今後は国防費を増やす議論をしていかなければならない。
戦争を無くす努力をしていれば国防費、ひいては国防の配備すらいらないというような左寄りの主張はあるが、そんなわけがない事は戦争の歴史である人類史が物語っている。ヒトの行動原理の根本は欲望であり、相対的に他社よりも富を得たいと思っている。もちろん生存、遺伝的形質の保全、これらのために重要な事は言うまでもないが、最低限の生活ができていればいいと、本質的に一生思い続ける事が出来る人は多くはない。
皆が富を求めるのである。現代のような物質主義の時代になり、マネーが余暇や消費の中心となっていればなおさらである。国の中で富の争奪が行われるが、それでは飽き足らなく、国家間の競争に発展していく。さらには究極的には領土の奪い合いに発展するわけで、これは人類が数千年行ってきた事であり、これからもそうであろう。
そういう意味で国防費用というのは国家が考えるべきことの最重要な点の一つであるが、日本ではこれがなかなか進まない。敗戦とその後の教育によってあまりにもナイーブな老人が大量生産されてしまったからである。もちろん、明治維新以降、特に20世紀に入ってからの日本の拡大主義、軍国主義というのは、1945年の敗戦時に大きな傷跡となって帰ってきた。シビリアンコントロールの重要性を再認識するし、同盟の重要性も認識すべきであるが、改めて考えるべきは、国防における事前準備と、民主主義が善であるという偽善、これらであろう。
軍国主義の暴走を招いたのは、民主主義的な意思決定が無かったからではない。これはナチスヒトラーでも言える事だが、民衆の多くはその意思決定を指示しており、恐らく今以上に民主的な指示により、軍国主義的な方向に走ったと言われている。これは民主主義の怖い面であり、現在の色々な国で起こっている問題であるが、指導者というか政治家が弱腰を見せると、民衆という名の世論は一定の反発を示す。それがエスカレートしていくと、戦時中の日本やナチスドイツのような状況をもたらすのである。これが民主主義の暴走状態であり、危機の時は発生しやすく、2000年前後に始まった小泉政権も似たような感じがあったと記憶している。
こういったものの暴走を止めるには同盟関係という客観視できる存在が重要になるのであろう。国の内部は文化的にも感覚的にも同じ感覚に陥りやすいが、複数の同盟国家からブレーキをかけてもらう事が重要で、それこそNATOとか、軍事同盟ではないがEUはそういった民主主義の良い意味でのブレーキに少なからずなっていると感じる。
そういう意味では国防費の議論も一方に傾きやすい世論に対して慎重に議論していく必要があるのかもしれない。不安を煽り過ぎると国防準備を過剰にしないと不安だという世論が大きくなるだろうし、これはコロナ騒動でも見られた現象である。不安を解消してくれるのが政治であるというナイーブな人間たちが、政治に過剰に期待してしまう。税金を払っているんだから、全て解決してくれ、という安易な発想が大いに目立った。
事はそれほど簡単ではなく、コロナにしても国防にしても、完璧な対策などない。それを辛抱強く見てられるのか、という点が政治を見るうえで大事であり、コロナのケースで言うと日本は諸外国よりもそれが出来ていたのかもしれない。筆者の海外二か国での9年間の生活を通して感じている事は、政治家は国民の鏡であるという事だ。
国民が選出している政治家が政治をしているので、当たり前と言えば当たり前の事実かもしれないが、そういう認識をしていなく、「政治家は金に汚い」とか「政治家はうそつきだ」とか「政治家は民衆である国民大多数の意見を聞いていない」とかいう声はどこの国でも聞くが、それら国の政治家の「金の汚さ」「嘘つき度合い」「人の話を聞かない度合い」というのは、おおむねその国の国民の性質と一致している印象だ。もちろん個人差はあるが、適当な国民が多い国は政治家も適当に見える人が多い。「政府は綺麗事だけではなく、実行力を!」とか言っているキャスターがいたりするが、当人が実行力が無いんだろうな、と思うケースが多々ある。まずは、自分たち国民が選んだ政治家が政治をしていると言う事を改めて認識して、例えば資質が足りない国会議員がいると思うのであれば、それはそれを選んだ国民の資質が低いことの裏返しであることを自覚すべきだ。民主主義国家の政治を良くしたいのであれば、国民それぞれの資質を上げる必要があり、その為に教育であったり、自己研鑽、個人個人が意識を高める必要があるし、これは中長期的に政治主導で良いサイクルに乗せるべく、みんなが意識すべき事だろうと思う。