税金の存在

ドイツでは補助金を活用して2030年までにEV販売を累計で1000万台販売するという記事が出ていた。一台当たり$10,000程度の補助になるらしいので、日本円にすると10兆円になる。10年での支出と考えると年間1兆円だが、ドイツ国民が実際は7-8000万人の人口だと思うが、計算を簡単にするために1億人とすると一人当たり年間1万円の支出になる計算。支出というか普段払っている税金から1万円相当分がEVの補助金になるという事である。もちろん3-4000万世帯あり、その内1/3の世帯が各一台を購入するとすると恩恵が各世帯当たり$3000得られると言う事になるので、平均3人家族とすると1万円を10年間払って3人分合計で30万円のリターンを得る事になるので、ほぼほぼ支払った分を享受する事になる。補助金が無いとEVを買わないで毎年の1万円が貯蓄か違う形で消費されると言う事になるので、政策分野に金を投じたいという政府の意思がある時はこういう方法は有効なのだろう。

国民全員を全て平均値で考えると、プラスマイナスゼロになるというのが基本的には税金の考え方だと思う。日本では軍事政権という名の幕府による政治が歴史的に長く、徴税は殿様の為という歴史が長い事で、税金はプラスマイナスゼロになるという考え方が寝ずいていないのではと感じる事もある。 いづれにせよ、「国民全員が平均的であれば」という前提であれば、政策分野に財政支出をする事はプラスマイナスゼロで帰ってくる。むしろ先ほどのEVの補助金と言う事で考えれば、先行的な国民への貸し付けになるので、健全なインフレが起きている状況下においては国民が有利と言える。

ただ、財政支出やもっと言えば政策で難しい論点は、国民全員が平均的では無いという事と、政策分野の一部の私企業なり個人なりが同時に利益を得てしまう事だろう。EVの製造やSupply chainに絡んでいる人には二重に好影響が与えられるが、既存のガソリンエンジンに絡んでいる人にはマイナスになる。これを産業構造の転換というのかもしれないが、企業やそこで働いている人にとって簡単な事ではない。また、EVにシフトする事が本質的に二酸化炭素の排出量の削減につながるのかという議論も決着はついておらず、ここには科学が必要となる。

温暖化の“主要因”が二酸化炭素なのかという議論すら完全な決着を見せておらず、証明は困難だと思っている。どちらについても科学的な議論が必要であり、しっかりとした検証が無いまま走ってしまうと、とんでもないほうに政策は暴走しかねない。科学の力というのは政策決定に与える影響という意味でも大事だし、政策決定を最終的に行う国民の化学リテラシーを上げるという意味で、教育の質、科学的な常識の情勢と底辺の底上げ、こういった事は国家で取り組むべきものだと感じる。教育をしていないと、その教育を受けてない世代が民主的な選挙をしても、政策判断を誤ってしまう。そうする事で税金が効果のない方向に使われることになり、国民財産を低減させてしまうのである。

ゆとり教育というのを訴えた世代があった。これは急激な経済成長の反動だったと思われる。ちょうどその世代が高校生の頃にツッパリ漫画が流行り、彼らが就職した頃にSMAPの「世界に一つだけの花」が流行りNO.1は目指さない、となった。今の50歳前後の世代になるが、学力を異常に軽視する風潮がある。一般社会においても「大学がどこかなんて関係ない」と事あるごとに言うのはその世代だ。その世代が親となりゆとり路線に走ったわけであるが、教育で子供を追い込むことは問題だが、勉強する時は勉強しておかないと、個人の将来だけでなく、国家の将来をも左右するわけである。