2020年12月22日の日記より
社会保障費と選挙
21年度の予算が国会を通過したことがニュースになっている。社会保障費は40兆円に迫る勢いであり、拡大が止まらない。団塊の世代が75歳以上になるのは2025年とまだ先のようでこれからも拡大は止まらない。日経新聞の計算によると2025年の社会保障費は54兆円に拡大するとの事で、20年度の税収が55兆円程度なので、ほぼ税収と同じ水準になる。
もちろん国家予算は全てが社会保障費という訳ではなく、他にも成長戦略、国防費、様々な予算が必要なわけであり、その分国債発行に頼る事になる。20年度の緊急出動に比べたらかわいいものかもしれないが、今後も国債発行額は増加していく事は間違いない。国債発行額が増えること自体が悪い事ではないが、インフレを起こせていない日本という国家において、GDP比で国家債務の比率が膨らむわけで、何が怖いかというと、民間の格付機関による格付けの低下ではないか、という論調もある。格付けが低下すると長期金利が上がり、国債の価値は下がる。
そうなると円安になりインフレになり輸出ドライブになるので、企業業績には良さそうだが、それは短期的なものであり、円安が長期化してインフレが起こると日本人は世界の中で相対的に貧しくなっていく。そうなると国内では輸出企業の恩恵を受ける人々が出てくるのかもしれないが、これは新興国でも見られることであるが、二つの面でデメリットが生まれてくる。一つは海外で稼げなくなることで中長期的に資本収支が悪化する事であり、もう一つは輸入品特にエネルギー関係と食糧、食品価格の高騰である。特に後者は生活に打撃を与える可能性が高い。あまり報道されていないが、富裕層が育ってきた感じがある新興国であるロシアやタイ、ベトナム、インドネシアなんかも富裕層は問題なく余裕のある暮らしができるが、中間層以下は失業率の上下動に四苦八苦して、為替が急速に下がる時なんかは、食料品の値上げに苦しむ。そういった図式になっていくのである。
これは誰の視点から見るかで変わってくるが、国内に資産を多数抱える人はインフレで価値も上がり生活はどんどん豊かになっていくという面が強調され、資産もなくその日暮らしの人にとってはインフレ下のグローバル化というのは円安が加わると厳しい事にはなり、購買力が削がれ、中長期的には日本の経済成長率の低下にも表れ、さらには給与所得の相対的な低下にもつながっていくのだろう。
国債発行額を増やすことが悪なのか、という議論はあるが、国家という規模の経済で見るのか、富裕層の視点で見るのか、中間層とそれ以下の層の視点で見るのか、これらで大きく変わってくるのだと思う。だから議論がかみ合わず、もちろん正解は無い。
当方はビジネスのフィールドでは自由競争、規制緩和と、市場原理主義的な感覚を強く持っているが、一方で経済成長に対する財政政策の重要性も感じており、はやりの賢い支出という言葉は重要ではあると思う。 ただ、まさに選挙対策のような政策を打たざるを得ず、30%とも言われる高齢者に媚びを売るような高齢者医療制度改革を止めるような動き、そういった事を言い出したのは共産党、民主党、公明党の非主流派(公明党は与党ではあるが)であり、大衆迎合的な動きである。
それになびくような社会になってきたのは有権者の責任であり、情報が過多になった今の時代に世界共通の動きなのだろう。情報が過多になると綺麗事がまかり通るというか、選択肢の中に絶対平和とか、老人尊重とか、環境重視とか、根本的には人間の深層心理的には否定を出来ないような言葉が躍り、それを否定する事が悪のような方向に行ってしまう。そうやって課題を先送りする事で国家が破たんを迎えるのか、どこかで権益を収奪して収入を増やすような戦争に発展するのか、そういう道筋を辿るのが人類の歴史であると言う事を、人々はまたしても忘れてしまっているのかもしれない。