独裁者を生み出す民主主義
独裁政治と民主政治というのは対極にある様なイメージがあるが、非常に関係が深いものだと思われる。独裁者というのは、民衆を抑圧する存在で、自分の都合の良いように進めるという、例えば今で言うと北朝鮮の指導者のような存在がイメージに上がって来て、民主的な選挙が無い国で、世襲で指導者が決定されるような政治体制を独裁的と認識し、独裁的な政治体制は強権的で、市民を抑圧するような体制だというイメージがある。
そのイメージはある意味では正しいが、民主的な政治体制においても独裁的になっていく事はあり、そこが民主主義政治体制の危うさである。これは古代ギリシャ時代から言われている事で、民衆の支持を得るためには、実効性が無かったり、理想主義的な政策であっても、民衆の得票を得るために、無茶苦茶な公約を掲げて選挙に出る事が出来るからだ。特に国が苦境に陥っている時には注意が必要で、ドイツにヒトラーが出現した時もそうだが、国民のプライドが壊された時、純粋に経済状態が良くないときは、誰が政治を主導しても変わらない、ただただプライドを取り戻そう、という感じになり、ナショナリズムが台頭する方向に行くのかもしれない。
現代で言うと2016年からのトランプ旋風、17年からのトランプ政権は、アメリカの相対的な凋落と、そこで傷ついたアメリカ国民のプライドの復活のための、大衆迎合、衆愚政治の始まりだったのかもしれない。プライドの復活のためには、国民は強権的な政治を受け入れてでも、面目を保とうとする。それの行き着く先がヒトラーによる大戦への行進だったのかもしれない。
全体主義がイタリアやロシア、日本にも広まったと言われるが、当時の各国には一応選挙の仕組みがあり、それによって選出されたのがヒトラーであり、ムッソリーニであった。ヒトラーに至っては国民の大多数が支持をしていたのは当時のニュースや映像からも明らかである。 国民という存在は、それがドイツであれ、日本であれ、非常に脆いものであり、マスの人数があるから扇動には強いとか言うものでもなく、むしろ扇動によって右にしろ、左にしろ、考え方の振れ幅が加速してしまう。
これはバブルを生み出すメカニズムと似ているのかもしれないが、一度定常状態から上なり下なり、右なり左なりにぶれが生じると、これが加速度的にそちらの方向へ大きく振れていく、これが世論なのかもしれない。安全装置が働いて、中道的な定常状態へ戻っていく場合もあるのかもしれないが、一定のブレ幅を超えたところで、国民の熱狂というものを生み出してしまうものである。ナチの台頭もそうであるが、太平洋戦争前半期の日本国民についても鬼畜米英、戦艦大和、国民全員でどんちゃん騒ぎをしていたような印象だ。
1980年代のバブルの熱狂もそうであろう。誰もが乗り遅れまいと不動産を買ったりゴルフ会員権を買ったりした。もちろんプロが買っているうちは良かったのだが、当方の親族もそうだったが、素人が乗り遅れないようにと思って株に手を出す頃からが本当のバブルであり、その熱狂がバブルの拡大を生み出し、どこかの転換点まで突き進み、最終的にはじけてしまうのだろう。株価を2,3倍にしたバブル的な熱狂は、冷めていく時も同じ規模で働くわけで、みんなが我先にと逃げ出して、バブルは終わる。
そこには冷静な分析や、過去の経験則など働かず、皆が乗り遅れるな、逃げ出せ、という扇動に追われているだけであり、これは民主的な選挙においても現れる傾向であろう。旧来の既得権益を打破してくれそうだ、こういったものは熱狂を呼ぶ。これは細川政権誕生、小泉政権、2009年の民主党政権誕生で日本でも感じられた熱狂であったかもしれない。経済的に疲弊する時期にこういった事が発生する傾向が強いと思われるので、2021年の菅政権も危険な状況になるかもしれない。さらに保守的な勢力が出てくるのか、それともリベラル勢力が盛り返すのか、その点が分からないが、コロナの状況下、国民が一つの方向に熱狂してしまう可能性は否定できない。