海と海洋国家
生命というのが地球に誕生したのは海であるし、海があるからこそ、水があるからこそ地球は生態系を維持して、今日に至っているというおおまかな主張には恐らく間違いがないだろう。そういう主張から始まる本を読み始めたところだが、見出しを見ると、歴史時代以降については海洋国家が世界の覇権を握ってきており、今後もその傾向は続くだろうと書いてある。海洋性国家である日本としても面白い論点であり、今後の展開を期待せずにはいられない。
そもそも海というか水の性質が特異であり、酸素原子と水素原子二個が水分子を形成しており、水素結合というユニークな結合を作り出して水となっている。分かりやすいところでユニークな性質としては、水は液体の時の方が個体の時よりも体積が小さくなる。小学生で習う事実であるが、これは水に特徴的な性質であり、水素結合という特殊な結合がそうさせている。
宇宙の始まりで最初に発生した元素は水素であり、一つの陽子と一つの電子からなる原子である。それに時間を経て生成された水素原子がくっつくと水分子になるのだが、ここで特別な関係がそれ以降続くことが決定されたわけである。その後太陽系生成時に水分子が生成されていき、太陽系の惑星には地球のみならず、氷が存在していたり、その痕跡が見られる惑星がある。人間の体の6割とも7割とも言われる部分は水分と言われているし、水が無ければ生物は存在しえないという事から考えても、その貴重で尊い存在であることが推し量れる。
さて、まだ本を読む前ではあるが、海洋性国家と大陸性国家の違いは何なのだろうか。元寇で攻めてきたモンゴル帝国は大陸性国家の最たるものであり、朝鮮半島にあった国の援助を得て日本へ攻めてきたと言われているが、やはりモンゴル帝国にとって海戦は苦手だったのだろう、二度とも日本側が勝利したと言われている。
武力で優れているモンゴル帝国も環境の変化に打ち勝てないというのを奇しくも証明してしまっている感もある。海洋性国家と大陸性国家という対立軸があるわけではないかもしれないが、海と陸での違いを考えていくと、どちらも畏怖すべき存在なのかもしれないが、例えば旅をする立場、狩りをする立場で比べた場合、環境の変化が激しいのは海の方だろう。
こんな簡単な言葉では説明しつくせないものであるが、海の方が不確定性は高く感じる。その中での知恵の出しあい、生存への工夫、これらがあってこそなのかもしれない。自分が日本国出身で海洋性国家に身を置いているからのひいき目はあるかもしれないが、こういった要素が歴史を分けてきた可能性はある。
身近な例で言うと、日本の中でも北海道は大陸的な感覚があると言われることがある。その性格は、穏やかでのんびりしたものであるが、経済的な成功という観点からはあまり好ましいものでは無いというのが現代の価値観だろう。アイヌ民族が近代史以降追いやられてしまっている事なんかも考えても、海を操るような国家、民族に対しては、なかなか勝てないというのが、もしかすると背景にあるのかもしれない。
もちろん、そういった対立に勝利する事だけが人生の勝ちではなく、共生を目指すような考え方に理想を感じるのは間違いないが、現代社会という枠組みというか価値観の中では、勝者は経済的な勝者であることは疑いようがなく、そうなる為には圧倒的な収奪力がカギになってくる。その戦いに勝利したものが経済的な成功を得られるわけであり、その為にはそういった対立に勝利する事が求められる、というのが気持ちよくはないが現代社会の価値観なのであろう。