気候変動の歴史
この頃は特に地球温暖化、気候変動による異常気象などが言われている。多くの人の主張は、産業革命以降の二酸化炭素排出量の増加による、二酸化炭素の温室化効果によって温暖化が起きているというものだ。
今のところ、二つの疑問点がある。1800年代から徐々に工業生産が増えて、右肩上がりで一本調子で二酸化炭素排出量が増えているはずではあるが、1960年近辺に正確には記憶していないが、20-30年間平均気温が低下している時期がある。よく見るグラフで見られる傾向だが、これについて合理的な説明が出来ていない。もう一つは、二酸化炭素濃度なんていうものは、増えたと言っても二酸化炭素の濃度変化というのは数百PPMレベルの変化であり、これが地球の大気組成の変化として、また温室効果として妥当なのだろうか。
それこそ金星の様な天体が異常に高濃度の二酸化炭素で覆われており、温室効果が働いているという状況と同列に議論できるものなのだろうか。これは、科学の難しいところであり、地球環境というのはN数が1であるとも言え、同一条件での比較が困難である。また、地球の気候の仕組み、地球自体の仕組みについても、科学は理解しているのだろうか。文明の発達の歴史と言う事を考えると、現代人は今までの文明の頂点にいる気になっており、多くの事、それこそ古代には神の領域と思われていた事すら科学で説明できる分野が出てきており、神様気取りなのかもしれない。
しかしながら、一般的な謙虚な科学者はそうは思っていないはずであり、そういうSilent majority的な科学者は、わざわざ気候変動についての薄ぺっらく、お金の匂いのする議論からは逃げているのではないだろうか。科学者として本質的な議論がなされているとは感じられない議題だからである。
そもそも地球の気温に影響を与える要素は、当然のことながら、太陽活動が一番大きな要素であり、太陽からのエネルギーを跳ね返したりする役割もある、地軸、地球磁場これらも大きな要素となっているだろう。そういった要素と、光として降り注ぐエネルギーを跳ね返すのか、否か、これも大きな要素となるはずである。これにプラスしたうえで、大気組成の話は出るはずであり、そんなに単純な話ではない。
地球は何度も氷河期を経験して今に至っており、特に我々の人生のような100年単位で物事は動いていない。また、温暖化が進むと異常気象が増えるという理屈が全く気に入らない。まず、地球の歴史を紐解いた場合、温暖な気候の方が生命の存在には有利であることは間違いない。生存できる空間が増える事で食物連鎖が広がり、生物相に広がりが生まれる。
人類の文明史を見ても、ルネサンス期の温暖期がいい例だが、温暖な時期の方が作物の生育が良く、人間は幸せな時間を過ごせるのである。こういった事から、まず言える事は、温暖化自体は悪い事ではなく、ツバルが沈む映像をことさら強調する放送局があるが、石炭火力発電所の代替発電所を世界中に整備する費用を掛けられるなら、ツバル一国を救う事は恐らく予算的には誤差の範囲だろう。また、沿岸部に住む人の生活が危うくなるというが、海外線の上昇にしたって、津波のようにある日突然来るわけではなく、護岸工事や、移住をすれば問題ないし、今までの歴史においても対応してきている事である。北極の氷だって溶ければ北極海航路を使用しやすくなり、物流費用が下がるし、南極の一部に人類が住めるようになれば、人口密度が減るか、人口を無理なく増やすためには好都合である。
大型台風が増えたとか、猛暑、極寒が増えたと言う事を、二酸化炭素排出量の増加→地球温暖化→そういう異常気象が増えた、という論調で言う向きがあるが、こんなことは誰かが証明したのだろうか。もちろん、温暖化により、大洋例えば太平洋の海水温が上がり、熱帯性の低気圧が発生しやすくなっているというのかもしれないが、本当だろうか。
気圧の差というのは、温度差で生まれるのではないだろうか。地球が等しく温度が上がっており、太平洋の海水温も同じように温度が上がっていれば、その上の領域(北の領域)も等しく温度が上がっているわけであり、大型の台風が増えるのだろうか。もちろん、海水の温度と気温を等しく比べられないが、海水温の方が温度上昇は小さいのではないだろうか。熱を保持できるから、温度上昇は同じでも、台風を巨大化させやすいのだろうか。
もちろん、二酸化炭素排出量の増加が大きな原因になっている可能性もあるが、今聞いている話や読んでいる本の内容によると、整合性のある説明がなされているとは到底思えない。無理やり二酸化炭素の排出量を押さえていきたい勢力があり、その人たちの偽善的な主張に皆が反論できなくなっているだけではないだろうか。
例えば、「戦争反対。人類みな兄弟。人殺しは悪。」的な主張があるが、これはまったくもって正論であり正しいようにも思える。この意見に対して、真正面からの反論は難しい。しかしながら、欲がある人間であるなら、個人の間では日常的に目に見える形、見えない形を問わず争いはある。例えば、仕事における競合との競争もそうである。そういったものが発展した形態が戦争であり、人間というものが存在する限りにおいては避けられない。いや、これは人間以外の動物であっても避けられない、根本的な本性であり、生きるという事や、種を保存すると言う事は争うと言う事が本質なのだろう。
そういう観点から言うと、戦争は反対であるが、守るべきものを守る時には戦争は必要なのである。Political correctnessではないが、偽善的な主張というのは、時として反論が難しい時がある。二酸化炭素の排出増についても、減らさないより減らした方が良さそうだ、という感じの人が多いのだろう。それによって、既存の秩序が壊れる事はいいのかもしれないが、過剰に意識しすぎる事によって、本来の活動が阻害されるとなると如何なものだろうか。