話を聞かない人たち

話を聞かない人たち

昨日インド人との電話会議で口論をしていたのだが、在宅勤務中、しかも時差の関係で夕方から夜の時間だったので、家族が一部聞いていたようで、相当ヒートアップしていたね、と言われてしまった。それ自体はよくある話なのであるが、何故ヒートアップするのかと考えてみると、圧倒的にインド人の人たちはこちらの話を聞こうとしないからである。

これは特にアメリカ人と比べると顕著であり、アメリカ人は会話の中で、相手のしゃべっている時間というかしっかりとアメリカンフットボールのように攻守交代を意識して会話を行う。相手が攻撃で、自分が守備の時はよっぽどでないと会話を遮ってしゃべりだすということはせず、今は相手の攻撃ターンですね、それを理解して会話している人が理性的であり、相手をリスペクトしていると考えるので、皆それを一つのマナーととらえている。

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一方、そうでない国の代表は中国、インドであり、インドネシアなんかもそういう部類に入る印象だ。攻撃の時間と守備の時間がはっきりしていないという意味ではサッカーのような感じだろうか。とにかく自分の主張を伝えることが会話の趣旨であり、それはどの国でもそうなのかもしれないが、相手の攻撃中も常に隙があると遮って入ってくる。日本人は割と、実はこちらの部類に入るというのが当方の印象だ。中国やインドほどではないが。

これはどちらが良いとか悪いとかではないが、文化の違いや歴史的な背景の違いなのだろう。人口が多いことや、人口密度の違い、あとは歴史的に植民地とされた時代に支配者に虐げられた期間が長いとか、あとはもっと長い歴史的な例えば遺伝子レベルでの違いなのかもしれない。

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職業柄日々色々な国の人と会話しているが、似たようなビジネスフィールドにいる人間でさえ、同じ英語という言語を使って会話をしていても、上述のように会話のマナー一つとっても違っているし、アイスブレーク的な会議冒頭の会話の内容も大きく違ってくる。昨今はどこの国とも「あなたの国の感染状況はどうですか?」「ロックダウンの程度は?」これが多くを占めるようになったが、アメリカであればカレッジのフットボールの話題をしたり、ブラジルであればカーニバル、ロシアであれば気候とモスクワの渋滞の話、インドネシアは断食明け休暇のスケジュール、オーストラリア人とはラグビーの話、そういった感じだ。外国人との会話は上述のように口論をすることも少なくはないが、こうやって並べてみると多様なトピックが存在しており、楽しいことではある。

ただ、昨今は特に新興国と呼ばれるようなトルコ、インドネシア、インド、ロシア、ブラジル、このあたりの国の方々と話すと、話題の中心は為替相場になる。先週トルコの方と話していたが、財務大臣が変わって為替が安定したのでようやく経済的には安定した活動ができるかもしれない、そのような話が合った。日本ではあまり報道されていないが、これらの国の為替はコロナ前と比べても低水準のままであり、輸入物価の上昇、それに伴うインフレリスクを持っている。一方で経済刺激のための緩和政策は継続させる必要があり、インドネシアは先日政策金利の引き下げを決めた。これらの国の人々と話していると、そういった金融政策はかなり綱渡りの状況で運営されていることを感じる次第で、これは以前にも述べたかもしれないが、どこかの新興国発の経済危機の火種はいまだにくすぶっていると感じる次第である。

アメリカンドリーム

アメリカンドリーム

アメリカでは4大とも5大とも言われるプロスポーツが有名であり、フットボール、バスケ、野球、ホッケー、サッカーと色とりどりだ。それぞれに競技においてカレッジもすそ野が広く、カレッジフットボール、カレッジのバスケットボールは異常な盛り上がりがあり、お金もかなりの金額がスポンサー等々から動いている。プロスポーツのトップ選手の年俸は数十億円にもなり、広告露出も多く100億を稼ぐような選手もいる。ゴルフもトッププロが大金を稼ぐ競技であり、とにかくスポーツで成功を収めるというのは、アメリカンドリームの一つとして挙げられており、子供たちはそれを夢見て小さなころから生活する。

もちろん映画俳優、歌手、これらもアメリカンドリームを体現する存在であり、子供たちはこれらに対してもあこがれを抱き、自分もいつかはそういう存在になるということを夢見て生活するのである。

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これは実は厳しい学歴社会の裏返しであるというように、筆者は思っている。アメリカほど学歴の差を覆すのは難しく、家庭環境が学歴に与える影響が大きい社会はないのではないだろうか。例えば、大学に一人通わせるのに数千万円かかるのはざらであり、有名大学であればもっと費用が掛かる。日本でも私大の学費は高いといわれるが、アメリカの場合、大学進学の費用を賄えるのは一定の富裕層であり、それ以外は学生ローンという方法もあるが、基本的には富裕層の子女が大学進学のほとんどを占める。有名大学を卒業すると就職先は数多あり、一定以上のレベルの収入を得ることができる。

大学に行かせられない層には、TVやメディアを使ってアメリカンドリームの存在をあおる。スポーツ選手の自宅紹介や、日常密着映像を見て、そういった層に対してアメリカンドリームは身近な存在であり、だれに対しても開かれているんだよ、そういったメッセージをTVを使って発信するのである。アメリカンドリームをつかんだ人間のストーリーなんかを紹介するが、親が貧しくて、努力して、みたいな誰にでも起こりうる点を強調するが、実際には天賦の才が導いた側面が強く、誰でもなれるかというと、その夢が破れた一般の人間のほうが圧倒的に多い。その夢破れた人に対しても「アメリカンドリームを本当に夢見れたではないか」というのが慰めになり、不満は爆発には至らない。これが貧困層を押さえつけてきたからくりの一つではないだろうか。ショービジネスを切り貼りして身近な存在と演出することは、富裕層が世代によって入れ替わらない社会を作っていることを、富裕層自身が免罪符としているのかもしれない。

ガソリン税

ガソリン税

アメリカに住んでいたころ、カリフォルニアやテキサスにしょっちゅう出張に行っていた。現地ではレンタカーを借りて移動を行い、この二つの地域で違っていることは文化で合ったり、言葉であったり色々あるのだが、大きな違いはガソリン価格にもあったと記憶している。もちろん、オイルの価格、ガスの価格に左右されるので一概には言えないが、感覚的にはカリフォルニアで買うガソリンはテキサスの倍以上の値段がしていた印象だ。カリフォルニアは中西部地域と比べても異常に高い。

テキサスはメキシコ湾もあり、シェールガスの供給力も近く、エネルギーの州であり、伝統的にガソリンが安いといわれる。州内を走る車のピックアップ比率も体感として高いし、大きなことは良いことだ、というテキサスの気風が走っている車にも表れている。ガソリン価格が安いこともあり、消費者が燃費を気にしていない。

一方カリフォルニアといえば今やTESLAが有名であるが、ハイウェイを走っていてもTESLAの車をよく見るし、なによりレンタカーを借りるにしてもガソリン代が高いから、コンパクトカーなり燃費のいい車をレンタカーですら、選ぼうという気になる。

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前置きが長くなったが、もちろん両地域の違いはガソリン精製場所からの地理的な制約もあるのだが、ガソリン税が違っている。環境先進国のカリフォルニアはガソリン税が高いのである。それが結果としてEVの販売増につながり、市民に燃費という考え方を植え付けている。とにかく自由経済の申し子のような米国でも政府主導で環境対策を打っており、自動車は分かりやすい例ではあるが、家庭用の暖房機や他の様々なものにエネルギー効率のスコアを付けて、場合によっては補助金を投入している。

日本の場合はどうであろうか。ガソリン車の販売を2030年までに止めるとかそういう議論があるが、何より始めるべきはガソリン税を上げることではないだろうか。民間主導でEVシフトを目指すというのは虫が良い話であり、既存のガソリン車製造メーカーにとっては既存設備の活用がしづらいので抵抗するに決まっている。本気で議論をしたいのであれば、政策主導になるのが正しい姿ではないだろうか。
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実は日本の行政というのは高度経済成長期の護送船団方式のように弱いものを拾い上げることは行うのだが、戦前の軍部の暴走を許してしまったトラウマなのか、自ら政策を主導して民間を引っ張っていくというのが苦手なのかもしれない。官僚がリーダーシップをもって、批判の多い政策を実現していくという姿があまり想像できない。もちろん政治のリーダーシップがあればこそではあるので、政治のリーダーシップがないことが遠因なのかもしれない。EVへのシフトを本気で進めるのであれば、どこかで批判は受けるし、大手自動車メーカーを敵に回す覚悟も必要かもしれない。その覚悟無しに、2030年にガソリン車の販売停止といっても、どこか本気に見えず、どうせ私は2030年に首長ではないだろうから、大衆受けのいいことを言っておけ、くらいにしか考えてないのではないだろうか、と某知事を見てると思えてくるのである。